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マイケル・ジョーダンはなぜ復帰したのだろう?と思う。さまざまな方がそれぞれの立場で意見をおしゃっていますが、どれも正しいだろうし、真意はマイケル・ジョーダン本人しか知らない以上、すべて憶測であることも事実だと思います。 さて、わたしの憶測と思いは以下のごとくです、皆さんにご紹介しましょう。 なぜ、マイケルが復帰したのかというのは、通常の人間が持つ外圧的動機、すなわちお金などでは到底ありえないことは誰でも容易に想像がつきます。それではどのような内発的動機なのでしょうか?内発的動機とは自らが快を感じ、そこにエネルギーが生じることにより生まれるやる気のことです。この快により生じるエネルギーは外圧などの低次元の欲とは違い、高次元の人間のみにしか存在しないものです。この高次元のエネルギーを持って生きることが今必要なのでしょうが、マイケルはもともと自分のために勝を追求したいという、この高次元のエネルギ−、情熱を飛び抜けて持っていました。今でもそうでしょうが、今回の復帰はこのエネルギーだけではないように思うのです。この情熱はわたしが尊敬する井上雄彦先生の『スラムダンク』で描かれている桜木花道のテーマです。井上先生は現在『バガボンド』で宮本武蔵を描きながら新たなメッセージを私達に送っています。それは花道の見せた大きな情熱というものの上に人間には必要なことがさらにある。そのエネルギーや情熱を実現化するには何が本当に大切なのかと・・・。その解答が自然体や無欲無私の生き方だと言うことを先生はおっしゃりたいのではないかと思います。すわはち、天下無双のためには情熱だけではダメなのだと。実はマイケル・ジョーダンこそ、この経験とその実現化をこれまでなし得ているのです。花道のようなどうしても勝ちたいという高い内発的動機だけでは、チームの優勝はなくそのために彼は武蔵でいえば沢庵和尚のような存在、フィル・ジャクソンコーチと出会います。そこで学び教育され成長します。すなわち、チームに尽くし、無私の生き方を体得するのです。実はその方が、結局自分のためになるのだということを知るのです。それこそ人間としての高次元の快に他なりません。この高次元のエネルギーは非常に大きいのです。その結果、益々すばらしい結果が手に入るようになるのです。マイケルはNBAにて天下無双を3年連続(3ピート)、しかも2回もやりとげました。自分1人がどうしても勝ちたいといって1試合に60点入れていても成し遂げられなかった優勝という天下無双を手にすることができたのです。 人間の一生かけて学ばなくてはいけない生き方のテーマは、まず花道にみる情熱、そして武蔵にみる無私だと、わたしは思っています。マイケル・ジョーダンはすでにこの人間の2つの大きな学びは習得してしまっているのではないかと思うのです。それではなぜ再び復帰したのでしょうか?その1つにはこれらの生き方だけではない何かをまだ学びたいというチャレンジ精神なのではないかと思います。これこそ相当に高い次元のエネルギーでしょう。だからこそ、マイケル自身は確実に衰えて勝てないかもしれないということもわかっているし、また無私を貫いても天下無双は手に入らないかもしれないチームで、なぜマイケルが再びプレーするのかという理由がわかるのです。すなわち、無私を超えて、さらに何かを教えたいとか与えたいとかいう、自分のためを超えた崇高な快を追求しているのではないかということです。これまでのマイケルや武蔵の無私も優勝や天下無双といったすべて自分のためのものです。しかし、今度は与えることこそが人間にとって本当にもっとも崇高な快となることを感じ取り、その実践をしているのではないかと思えてならないのです。与えることの快を感じ、高いエネルギーで生きる。情熱と無私に続く人間の最終目標こそ、この生き方だとわたしは思っています。マイケル・ジョーダンはまさに人間の生きるこの最終テーマを私達に行動で見せてくれているのではないか、わたしにはそう思えてなりません。 そして、井上先生はこの崇高な3つめの生き方を車椅子バスケの『リアル』でわたしたちにメッセージしてくれるのではないかと私は個人的に秘かに期待しています。
今シーズンサポートしてきたさまざまなスポーツのさまざまなチームがそれぞれの結果とともに今シーズンを終えている。サポートチームの多い大学ラクロス界もそのすべてが終了し、新しいチームに向けすでに発進している。毎年この繰り返しである。 さて、今年私がサポートしてきたラクロスチームは本当に悲喜こもごもであった。関東大学リーグ戦の男女ファイナル4に男子は東京大学と千葉大学が出場、女子は学習院大学が残った。東大は昨年に引き続きの出場で、学生界に君臨する慶應大学との準決勝。昨年もこの壁が敗れず、敗退している。今年の東大もいいチームであったが、またも敗れた。リーグ戦初戦で千葉大に敗れたが、建て直し、やれるだけのことはやってきたチームだと思う。この準決勝は気合いが入りすぎた!ゲームの入りがまずかった。あっという間に慶應に1クォーター5点を先取されてしまった。一気にセルフイメージが縮小した。やはり慶應強しと!しかし、あきらめない東大は2から4クォーターは互角に戦い、結局4−9で敗れた。試合前のメントレにもう少し時間をかけるべきであったことに私の反省が残る。私自身もやれるだけのことはやらないと・・・。 もう1つの準決勝は千葉大が日体大に挑んだ。千葉大は昨年2部の時からサポートを始めているが、実に好チームで今年は始めての1部でファイナル4に残った。日体大にもまったく互角の展開を4クォーターまで繰り広げていた。しかし、わたしの印象ではいつもの千葉大とは違ったことを選手1人1人がやってしまっているという印象がどこかにあった。メンタルリハーサルをしてきたが、はじめての実体験というのはこれほどに大きなものなのかと思い知らされた。4クォーターの終盤、そのわずかずつのずれが最後に点差となったのか?4対6で敗れた。この経験を来年のチームづくりに活かさなくてはならない。選手の気持ちを吸い上げて、メントレに活かしたいと思う。 女子のファイナル4は日体大vs学習院、日女体vs東女体で、学習院大学以外は体育大であった。男子よりもフィジカルな要因が高いのが女子のラクロスである。このファイナル4でいつも敗退している学習院は実にすばらしい試合をした。フィジカルに勝る日体大に対して、完ぺきなシステムディフェンスだった。常時有利に試合を運んで、残り1分を切るまで、日体大相手に6対6の同点だった。観客だれもが、学習院の勝利を望んでいるような雰囲気であった。しかし、最後に日体大のジャパン選手がチャージング気味の執念とも思えるシュートを決め、学習院の1年も終わった。この1点は何の差だったのかとゲーム後コーチに尋ねられたが、この1点の原因はこの試合にはない。この1年間のすべての集積なのだ。もちろんこの試合では全力をつくしたであろう。しかし、昨年敗れて悔し涙を流してから、片時も忘れずに全力を全員が尽くしてきたであろうか?1人1人が胸に手を当てて考えるべきである。そうこの1点こそ1秒1秒の結果であろう。だからこそ我々は一瞬一瞬を大切にしなければならないのだ。負けた時に始めて、その大切さに気づかないために! 残念ながら成蹊大学女子は二部に降格した。しかし、このチームは素直だし、学習性も高い、変化もする。昨年はpride of lacrosseを受賞したくらいのすばらしいチームだ!来年は一部昇格にむけ、一瞬一瞬を大切に全員が一部にふさわしい心技体のチームを作ってくれることを信じたい。今年からサポートした成蹊大学男子チームは見事、一部復帰できた。内心ほっとしている。チームの意識改革ができたとの思いはある。来年、本当の結果がでるだろう、このチームが一部にふさわしいのかと。 聖心女子大は二部から一部に昇格することができなかった。誠にくやしい!私も何かもっとできることがあったのか、よく考えなければなるまい。 ぞれぞれのチームにそれぞれの結果がやってきた。自分たちにふさわしい結果しかやってこないのだ。すでにどのチームも新体制で来年に臨む準備がはじめられている。もう一瞬一瞬は始まっているのだ。この時期もまた楽しい。 それぞれにふさわしい結果を求めて・・・・。
さまざまな方の身体的、精神的、社会的、生理学的特徴を知って、彼らの生きることへのサポートを心から喜んでする。このような健康医学やスポーツ医学の担い手が21世紀の日本には必ず必要とされ、また育っていかなくてはならないことを確信しています。スポーツクラブと病院の橋渡しとなるような存在として、ヘルスディレクターやスポーツコーディネーターたちがこれから21世紀の時代に活躍していくことを心から期待します
本当に運動を必要としている方々へのQOLの向上を精神(こころ)と身体(からだ)の両面からサポートし、健康によりよい生活習慣(ライフスタイル)の改善のお手伝いをあらゆるシーンで展開していける方々です。健康財産の減少速度を決定している大きな因子がライフスタイルです。健康を支えるライフスタイルの3要素といえば、栄養、休養、そして運動です。健康という側面からライフスタイルを論じるならば、現在80歳まで健康に生きることを証明した老人と比較して考えてみる必要があるのではないでしょうか。 我々が当たり前のように行っている食生活と、彼らの食生活に違いはないだろうか。コンビニの利用、宅配の利用、ファーストフードの利用、冷凍食品の利用など、味覚の変化、便利さの追及」、おしゃれ感覚の普及、欧米文化の流入など、その理由は様々ですが、明らかにかつての食生活と比較して違ってきています。また、休養に関して考察すれば、休養の反対にストレスという表現があります。ストレスも精神的なもので比較はし難いですが、明らかに過去になかった添加物、薬剤、塩素などの化学的ストレスや花粉、ウイルスなどの生物学的ストレスが存在します。 運動に関しても、40年前の同年代に比べて、我々の身体活動は5分の2に減少しているというデータがあります。スポーツクラブやスイミングスクールの全くなかった時代に比べ、40%しか身体を動かしていないのです。これらのライフスタイルが健康財産の減少を一層早めている可能性があります。 従って、栄養、ストレス、運動のどれかに偏った指導ではなく、これらを総合的に捉えたライフスタイルそのものにアプローチしていくことが、エミネクロスでは大切だと考えています。そんな思い込めて、エミネクロスの各事業ではスタッフが子どもから高齢者、障害者までさまざまなクライアントの方々に接しています。
従来のがむしゃらがんばる式ダイエットはもう古い!これからは気持ちよく楽しく粋に何にもとらわれないダイエットにチャレンジを!!本当にスリムにスタイリッシュに生きるための新しいダイエットの考え方です。 ●ハマルという心理を利用して楽しんでやせる 脳内物質やストレス、やせたい気持ちがダイエットに大きな影響を及ぼしていたのはよくわかったはずです。そこでこれからは、気持ちよさを感じながら楽しくやせる、エピキュリアンダイエットを提案します。 このダイエットに大切なことは、ダイエット自体を楽しんでしまおうという気持ちです。例えば食事を「おいしい」と感じながら食べると、脳は満足して食べ過ぎを防いでくれます。ダイエットのために始めた運動も「楽しい」と感じられれば、充実感のある生活を送る自分に気づくはず。そしていつの間にか体重が落ちて「うれしい」と思えることに。ダイエットに対する概念を変えて、生活そのものを楽しむことがエピキュリアンダイエットの一歩です。 1.楽しい 脳内興奮物質の効果で、生活すべてが元気いっぱいになる!! 今回話を聞いたダイエットの成功者はみな、外見はごくごく普通の女性ばかり。でも、共通していたのはみななんだかとても元気でイキイキしているという点。ダイエットに成功ししました、というような必死な感じや、ストイックな感じは一切感じられなかったのです。 「自分が好きなことをして、ダイエットに成功したという人はダイエットが目的ではなくなっているので、ストイックな感じもないんでしょうね。別に、彼女たちは特別な人たちではないと思いますよ。たまたまチャレンジしてうまくいってしまったというだけでしょう」と辻先生。 成功したAさんはこういいました。「別に、元の体重に戻っても私は水泳を続けていたいんです。体重は関係ない。水泳することが楽しいだけなんですよ。趣味で体を動かしていたらやせてしまったっていうだけです」と。でも、みんなすぐにすぐに充実感が得られるものが見つかったわけではないのです。忙しい中でも試行錯誤して生活を変えたいと思った結果です。その気持ちさえあれば、誰にでも楽しめることは見つかるはずです。 みんなそうだったんだ、と気づいて唖然!! ダイエットは失敗続き。ジムに通ってもただダラダラしているだけ。 でも、たまたま出たバレエのクラスはなんだか楽しくて。次も出てみようかな、と思っているうちに、週に3回も通うように。今は舞台にたつのが夢なんです。週3回通ってわかったんですが、週3〜4日ジムに来る人って、きれいな人が多いんです。はまれるものがあるときれいになれるんですね。(25歳 商社勤務) 2.うれしい 体重ばかりでなく生活そのものがシェイプアップされた 今までのダイエットだと、○○しちゃいけない、○○は食べてはいけないという受け身な姿勢のダイエットだったために、どうしてもストイックになってしまう。しかも、ストレスも極限までたまってしまうから、いつもピリピリした状態に。だから減量してもなんだか張りつめていてちっともきれいじゃないことが多かったわけです。でも、今回のエピキュリアンダイエットはそういう張りつめた雰囲気は一切ない。 「自分が納得して、満足してやっているから、ストレスもたまらないはず。逆に生活サイクルの中に組み込んでしまえば、それがストレス解消になるわけです。また、人は自分が充実していると他人にもやさしくできるんです。そしてそれが、周囲の人のあなたへの評価を上げる。人から認められるとまたやる気も生まれる。いい意味のうれしさややる気の連鎖が生まれるわけです。これもこのダイエット法ならではの考え方ですね」と辻先生。いくら有効なダイエット法であっても、やる側に満足感がなければ、それはただの苦行にしかなり。
「勝つため」にスポーツは行います。「勝つ」のはとても気持ちのよいことです。人間だれも勝ちたいという気持ちがある。もしかしたら遺伝子に組み込まれているのかもしれません。それほど「勝つ」ということには魅力があります。それでは私たちにとって本当に「勝つ」とはいったい何なのでしょうか?「勝つ」を辞書で調べると、「相手、敵を負かす」。とあります。
しかし、わたしたちは本当に「相手、敵を負かす」ことを追い求めているのでしょうか?私たち人間の遺伝子に組み込まれでいるのは「相手、敵を負かす」ことなのでしょうか?それでは、相手や敵とはいったい誰なのでしょうか?誰に勝てば、本当にうれしいのでしょうか?スポーツにおいて試合は勝ち負けを決める1つのチャンスです。「勝つ」ためにほとんどの選手やチームは戦っているなずですが、ほとんどの選手やチームは負けてしまいます。それではなぜやるのでしょうか?負けるために戦う人はいません。しかし、ほとんどの選手やチームはみな負けるのです。オリンピックに参加する全ての競技のすべての選手の金メダリスト以外は負けです。1998年のワールドカップサッカーもフランスを除いてはすべてが負けてしまいました。日本もしかりです。負けるために日本は出たわけではありませんが、勝てない可能性は高かった。それなのになぜ出場したのでしょうか?「勝つため」にやているのなら、勝てる相手や敵とだけやれば、人間の遺伝子は満足するのではないでしょうか?相手、敵とは確実に勝てるはずのものであってもいいはずです。もし、「勝つ」ことがすべてなら。もし、「勝つ」という喜びが相手や敵を叩きのめし負かすことなら・・・。 しかし、私たちは負ける可能性があるのに、甲子園球場で闘います、オリンピックに行けないかもしれないのに代表めざして全日本選手権に出場します、優勝できないかもしれないのにワールドカップを目指します。それはなぜでしょうか?本当に私たちの遺伝子を満足させる「勝つ」とは相手や敵を負かすことなのでしょうか?多くの時間やエネルギーを注ぎ私たち人間はスポーツでこの「勝つ」だけを求めているのでしょうか?どうも私には「勝つ」という葉が「相手、敵を負かす」ということだけではないような気がしてならないのです。しかし、昨今のスポーツではこの勝つことだけが人間の追い求めているものだと印象づけてしまっているような気がします。すなわち、「相手、敵を負かす」という「勝つため」なら何をしてもいいのか?ドーピングで金メダルをとる、どこかのプロ野球チームのようにお金だけで選手を集め勝つ、繰り上げのメダルをマスコミをはじめ国中で喜ぶ、タイトルを取らせるためになら敬遠する、などなど。本当に私たちが求めている「勝つ」はこのようにして得られたものなのでしょうか? かの剣豪、宮本武蔵が「勝つ」ことの極意をといた五輪書の中で、「勝つ」とは相手の息の根をとめることではない。勝負とはただその瞬間の自分と相手の剣法の優劣を決めるにすぎず、勝つとは相手に勝つことでは無く己に克つことだ」と述べている。武蔵は相手に勝ち天下無双を追い求めた殺人剣の時代よりも、自分に克ち相手は活かすための活人剣となった時代の方が一段と強さをましている。ただ相手に「勝つ」ことは本当は人間の遺伝子を本当に満足などさせないのでしょうか。それだけを追い求めていたのでは、本当に自分の力すらも発揮できないのでしょうか?本当にただ「勝つ」ことで人間は心底喜び充実できないのでしょうか?そのことを武蔵は生死ぎりぎりのところで闘い学んでいったのだと思います。
11月5日、いよいよわたしのスポーツに対する考えの集大成ともいえる『痛快みんなのスポ−ツ学』が集英社インターナショナルより出版発売されます。お楽しみに。スポーツファン必読の書です!今回のHotMSGではいち早く、その序文となるはずの文章を公開いたします。
いま日本を始め世界は、これまで人間が繁栄するための手段として栄えてきた経済、政治、宗教などが行き先をもとめ渾沌とさまよっているような時代の中にいるような気がして成りません。その結果、人間自身も行き先を見失い、心や身体をどんどん病んでいっているのではないでしょうか?そうなってきたのも人間自身の責任でしょう。しかし、人間は本来すばらしい生き物のはずです。人間自身のつくり出したもので、この渾沌とした時代が救われるのではないか。それがスポーツだと思うのです。わたしはスポーツドクターとしてこれほど荒廃した時代に、スポーツこそがわれわれの求めている本物の何かを与え教え育ませてくれるのだと信じています。スポーツには国境がありません。スポーツには宗教も政治もないのです。スポーツには年齢や性別はありません。障害者にもスポーツは平等です。 そしてスポーツは人間の心と体によって支えられています。スポーツこそ人間のすべてです。そう、スポーツは人間「みんな」のものなのです。 ところが、人間自身がつくり出したすばらしいスポーツという財産のその財産価値を知る人やそれを伝えられる人があまりに少ないのが残念です。スポーツには感動があります、美しさがあります、情熱があります、チームワークがあります、向上心があります、協調性があります、努力があります、感謝があります、健康があります、いきがいがあります、応援があります、奇跡があります、決して嘘はありません。われわれにとってきっと最高の救い主となるはずなのです。しかし、スポーツは人間が伝え行い見せ教えるために、まったく違ったものになってしまうことがしばしばあります。それはスポーツのせいではなく人間のせいです。しかし、このすばらしいスポーツをつくり出したのも人間です。人間のすばらしさをまず心から信じたいと思います。 わたしはスポーツドクターとして、スポーツを文化としてとらえ、その人間にとってのすばらしい存在価値を伝えていきたいと考えています。『スポーツは医療である、教育である、芸術である、コミュニケーションである。』というのがわたくしの信念です。そして、すべての人「みんな」がこのスポーツのすばらしさを享受してほしい。わたしの思いの一端をこうして1冊の本にできましたこと、本当にうれしく思うとともに心から感謝したいと思います。わたしのスポーツへの情熱を理解してくれている家族、両親、エミネクロスの仲間、これまで出会ったそしてこれから出会うだろうすべての人たちやスポ−ツ選手に「ありがとう、ありがとうございます」。 最後に、いまだ未熟なわたしのスポーツへの思いをこのようなすばらしい本にしてくださった、集英社インターナショナルの島地勝彦代表取締役、編集の花見萬太郎氏、平林裕介氏、そしてライターの岡田仁志氏に、この場を借りて心より深謝の気持を申し上げたいと思います。
わたしが非常に親しくさせていただき、家族ぐるみでおつき合いさせていただいている、写真家“高砂淳二”さんとゆっくりお話をさせていただく機会がこの夏あった。イルカをはじめ海を中心にすばらしい写真をとられる高砂さんのファンは日本中に多い。わたしの家族もその中の1人である。一言でいうなら彼の作品は『愛』にあふれているのである。同じイルカの写真でも何か違う。写真の中にいる動物や自然がいきいきしていて、見る私たちにエネルギーをくれるのだ。とにかく自然のことなどよくわからない私にも、自然のすばらしい力が写真を通して伝わってくるといった感じなのだ。 実は高砂さんはスポーツのファン、昔はボートをやっていたが、特に武道の心得がある。しかし、スポーツの単に勝ったり、負けたりだけが大切なところに興味はない。彼ほどの芸術家が自分の仕事や生き方において、大事にし求めているスピリテュアルなものが武道にもあるというのだ。昨今、井上雄彦先生のバガボンドで宮本武蔵が注目されているが、武蔵がめざすもの、無我無心の境地。自然とともに生き、人間を大切にする心。そこにエネルギーの源がある。高砂さんと話しをするとそんな気分になる。わたしが伝えていきたいスポーツのあり方もこんなところにあるのかもしれない。私自身は井上先生の言葉を借りるなら『未熟者』で無我無心の境地などを語れない。しかし、高砂さんが写真で、井上先生がマンガで伝えたい共通する何かを、わたしはスポーツを通して多くの人に感じてもらいたいと思う。その担い手がエミネクロスである。今年の夏もスポーツを通じて多くの人たちの笑顔とエネルギーにであうことができた。たくさんの子供達、チアリーダーたち、障害者スポーツの選手たち、トップのスポーツマンたち、ライフセーバーなど。わたしもこの秋から高砂さんと一緒に合気道をはじめるつもりでいる。
今年のウンブルドンは、いつも忙しくスポーツですらじっくり観ることの出来ない、ましてテニス関係者でもない私にとても印象深いものだった。仕事柄、オリンピックや各競技の世界選手権、そしてテニスの4大大会などはしっかり観て勉強したいといつも思っている。しかし、前回のHot MSGにも書いたが、それがなかなかじっくり観られないことにストレスもある。今年のウンブルドンはなぜか仕事から帰った夜中にうまく観る機会をえることができた。 感謝! ゴラン・イワニセビッチには感動した。感動した理由にはいくつかある。テニスはメンタルなスポーツといわれる。もちろんどのスポーツもメンタルだが、テニス選手の表情から学ぶことは多い。イワニゼビッチはなぜ勝てたのだろう?このウンブルドンに参加する時点での彼のランキングは100位を下回っていた。大会推薦のワイルドカードで何とか本戦出場。今年のオーストラリアオープンは予選から参加し予選敗退だ!そんな彼がなぜ勝てたのか?急にに体力がついたのか?急に技術が亢進したのか?サーブが以前より速くなったのか?そんなことはないはずだ。これまでウインブルドン準決勝に進出すること3回、すべて敗れている。むしろ往年の体力やサーブの威力が今年よりもっとあった時にである。イワニセビッチが変わったとすれば、こころ、考え方しかない。すなわち、社会力がついたのだ。もう後のない彼にはテニスを本当に楽しむことの重要性がわかったのではないか。 一球一球を大切に楽しむイワニセビッチがあそこにはいたように思う。準決勝も決勝もフルセットの3時間以上にも及ぶすごい試合だったが、楽しめる精神以上に強いものは無い。準決勝の3日間にも及ぶ大試合はイギリスのヘンマンが楽しむより勝たねばならぬプレッシャーで敗れた。しかし、この楽しむ精神力こそ、崖ップチに一度立ったものしか得ることの出来ない学びなのだとわたしは信じている。さらにイワニスビッチは、テニスそのものに対して、そしてテニス関係者すべてに対して感謝することを知ったのではないだろうか?まずワイルドカードを与えられて引退すら考えていたイワニスビッチがウンブルドン関係者に対し感謝するというもっとも力をはっきさせる考えを芽生えさせたのではにかと思う。この考えは社会力としても重要なものだ!どうしても勝ちたいというトップアスリートたちが、このような楽しむとか感謝するとかの考え方を心の底から持つのはむづかしい。それは一見すると勝つことと正反対の考えだからだ。だからこそ、本当にどん底を観た選手にこそやってくる御褒美だろう。そして、そこでそのことを学んだ選手にこそ、世界の頂点にたつという簡単にはできないことがやってくるのではないだろうか。大事なことはただどん底に落ちるという苦労ではなく、そこから何を学んでエデュケイトし人間として成長するかだと思う。マスコミはただ苦労話しを伝えようとする。 さらに、イワニセビッチは自分の成長ぶりをさらに多くのファンに与えるという幸運にもめぐまれた。雨のために順延となった決勝は月曜日(7/9)となり、当日券が1万枚も出され、通常では決して観る事のできない一般のファンが観戦することができたのだ。クロアチアとラフターのオーストラリアの人たちは心の底から2人の死闘を楽しむことができた。それは2人は勝ち負けを超えて、ただ一生懸命に戦う姿に感動があったからだろう。観客にも感動や楽しみを与えられることができたのである。そして、観客たちからは応援というすばらしい力を貰い、さらに観客に感謝の心を返すこともできた。イワニセビッチに私もありがとうといいたい!スポーツは何んてすばらしいのだろう!
「忙しい」は理由になりませんが、この頃忙しいためにHot MSGの原稿が遅れ気味です。毎回楽しみにしてくださっている方々、誠に申し訳ありません。やっと7月後半号を書きました。早々に8月前半号のVol.14にバトンタッチします。その原稿もすでに書いたので・・・。
Sexualハラスメントという言葉が企業をはじめ社会でよく言われている。略して『セクハラ』である。女性との間にも良好な人間関係が保たれ、エミネクロス信条として重要とする『愛・品・信』があれば、それらにひっかかることは少ないのではないか。すなわち、人間としてのリスペクト(respect)である。これさえあれば、今のさまざまな人間関係はもっとうまくスムーズにいくだろう。われわれは日々このことを考え、感じ、ヒトと接していかなければならない。
6月10日(日曜日)第59回早稲田大学vs慶應義塾大学バスケットボール定期戦が早稲田大学記念会堂にて行われた。チームエミネクロスをはじめ、全日本車椅子バスケ、さいたまブロンコスなど、私とのコンビでコーチとしても活躍中の東野氏(クラッシャー)が早稲田大学のアシスタントコーチを務めている。いつも立場は違うが、同じフィロソフィーを共有しバスケを見つめている東野コーチとは早慶戦だけはライバルだ。昨年から東野コーチとのこの関係は続いているのだが、昨年の成績は春の早慶戦では1点差で早稲田、秋のリ−グ戦では1点差と2点差で慶應が勝利している。この定期戦はアマチュアバスケットボール界では最高のゲームといってよいほど観客は入るし、バスケッ トボ−ル関係者以外の方々の応援もあるし、OBたちもたくさん来られ、それは一種独特な雰囲気が存在する。あの雰囲気は一度体験されたら忘れられないだろう。私自身も慶應大学のチームドクターになって約12年すっかり虜になっている。 さて、今年の早慶戦も例によって白熱した展開になった。1点を争う好ゲームだ!結局延長戦(長い歴史のなかでもめったにないらしい)の結果 、早稲田大学が1点差で勝利した。昨年の結果も布石として選手達にはあるが、この春のトーナメントの結果 が選手の意識に無意識に入っている。春のトーナメントは早稲田は8決めで法政大学に敗れベスト16であった。一方、慶應義塾は前回のHotMSG(vol.10)でもふれたが、快進撃の末見事5位 になっている。選手達の精神構造にこの結果が働いている。 5位とベスト16。人間は弱いので結果をすぐ見る。そう慶應は強い。しかし、するべきことができたら強いのである。 するべきことができないのは意識のゆらぎ以外の何物でも無い。意識のゆらぎは結果 によるところが多い。春の結果が 慶應に意識のゆらぎを生じさせたのだ。一般 の言葉で言えば油断である。選手達はそんなつもりはないというだろう 。しかし、われわれにこの結果由来の意識のゆらぎは常に存在する。しかも。アヘッドした状態での意識のゆらぎは 恐い。もちろん、ビハインドになったときの意識のゆらぎ、あきらめも決してよいとはいえないが・・・。慶應のよう なチームはビハインドの意識のゆらぎにはめっぽう強い。しかし、今回はアヘッドしていることによる意識のゆらぎに 足下を完全にすくわれたといっていい。しかし、このくやしい敗北がまた選手たちを成長させることを願って やまない。 この秋のリ−グ戦には早慶そろって1部昇格、インカレでは共にベスト4をめざせることだろう。そ のために時間が与えられている。この時間をどう過すのか。その真価が問われる!悔いのない1年をまた今年も過す ために、私もサポートしたい!
先週行われた関東大学男子バスケットボールトーナメントで、わたしがチームドクターをさせていただいている慶應義塾男子バスケットボールがすばらしいゲームを展開し5位 となった。 私のスポ−ツ医学の原点はこのチームにある。はじめてチームドクターをさせていただいたのもこのチーム。どのチームにも愛着があるが、なぜかこのチームへの思いは特別 だ。自分自身のスポーツドクターの成長がこのチームとともにあるいからだろう。さまざまなことを教わった。そして一生懸命にわたしのできることを増やし与えて続けけてきた。心の重要性に気付かせてくれたのもこのチームだ。セルフイメージや『社会力』をともに考え、勝負の構成要素に加えてもらった。 そして、何よりも得たのは、この10年で知り合ったすばらしい選手たちだ。それぞれが今社会で活躍し、りっぱな一流人間を今度はめざしている。卒業した選手たちと会うのは至福の喜びだ。なぜなら、学生時代にバケットボールを通 じて学んだもののすばらしさを垣間見る事ができるからだ。人生を左右するのは、早慶戦での結果 でも、インカレでの勝敗でもない。勝つために全力を尽くして、何を学んだのかということだ。それこそが、『社会力』である。そして、この『社会力』の獲得が競技成績にも活きるのだ。このことをあらためて彼らから教えられる。 今、長い歴史のすべて、すなわちOBの方々、弱い時もチームを支援されたスタッフの方々、そしてこれまで全力投球でやってきた選手たち、かれら全員のおかげで今年はすばらしい成績を残している。来週は早慶戦だ。またすばらしい試合を期待したい。慶應らしさを追及し、充実した1年を送れるよう心から応援している。そして、応援しているわれわれすべての人に慶應でよかったというような試合を選手にはしてもらいたい。これもまた『社会力』だろう! エミネクロスには、このように『社会力』すぐれたすばらし慶應義塾大学男子バスケットボ−ル部を超えるようなチ ームをより多く作っていきたいという熱い思いがある。
この5月18日から20日の週末、愛知県で全日本車椅子バスケットボールが4年後のアテネパラリンピックに向けて始動しました。 先日、天皇陛下もご覧になった5月3日、4日の東京体育館で行われた全日本選手権全試合をもとに、ヘッドコーチ小川さんとアシスタントコーチの東野君(エミネスタッフのすばらしいコーチ、もちろんチームエミネのヘッドコーチです)が選抜したものとこの大会に参加できなかったチームから地域推薦を受けたもの55名が一同に会した。車椅子の選手が55名も集まると迫力がある。特に体育館の中でアップが始まると、スピードにのっ た車椅子が作り出す風はものすごい。近くで見ていると、すすしいだけでなく、巻き込まれてしまいそうにすらなる。選手はこの2泊3日の合宿で、大きく選考される。約20名ほどになる予定である。技術はもちろん、生活などの自己管理能力、心の面 など、多角的に評価する。 この選考会は昨年シドニーパラまでの実績は一切問わないで白紙にもどすというものである。選手はみな真剣だが、合宿の初日にわたしはみんなにこう言った。『全日本にふさわしい選手、世界と闘うにふさわしい選手がほしい。過去の実績は関係ない。これからどれくらい、そのふさわしさを追求し、変化できるかが大切だ。参加の時点からどうせ自分はダメなんだろうという不安ややる気のなさ、あるいは自分は受かるに決まっているという油断やおごりは一流選手の思考としてふさわしくない。なぜなら、試合でもその思考の癖はつい出てしまうからである。強いチームと闘う時、闘う前からダメなのではないかという不安ややる気のなさを持ちかねないからだ。一方、おごりや油断も試合でいいはずがない。このような心の癖のある選手はこれからの全 日本選手にはふさわしくない。すくない望みにも全力をつくし、するべきことを一瞬一瞬大切にできる選手こそが選 考される。』と。また、『われわれの望んでいる選手は「自分のためににできる選手、他人のためにできる選手である。自分のためにできなければ、他人のためにはできない。他人のためにできることが自分のためにもなる、という思考のできる選手こそがのぞましい』ということも言って、選手たちに考えてもらった。 全日本車椅子バスケットボ ール選手たちはとても素直ですばらしい。しかし、まだ一流のスポ−ツ集団と呼ぶには発展途上である。その成長を一緒に体験しながら、一歩一歩階段を登り、本当にわたしたちにふさわしい結果 を得る努力をともにできることに感謝したい。そして、それを考えただけでもワクワクさせらる。みなさん、これからの全日本車椅子バスケットボール男 子チームを宜しくお願いします。
最近、会社の新人研修会や企業の新年度決起集会、あるいはスポーツチームや選手のメンタルトレーニング、子ども達の保護者会などでお話をさせていただく機会が増えてきました。このところのテーマは決まって、「時間の質」です。それぞれの人生において目標があれば、時間の長さや人生の数は決まってしまっています。大事なのはその質です。「時間の質」は大きくわけて3つの要因で決定していると考えられます。 1つは環境です。今、こうして私どもエミネクロスのホームページを御覧いただいている「時間の質」の質を決定しているものとして考えればわかりやすいでしょう。1に環境。御覧いただいているPCの性能やお部屋の状態のことです。壊れかけたディスプレーで御覧になっていればこの「時間の質」は低くなることでしょう。無茶苦茶寒いか暑い部屋、あるいはものずごく人の多いうるさい場所、タバコばかりを吸われて空気のとても悪い机などの環境です。 2つめはこの「時間の質」を与えている私どもエミネクロス、すなわち辻に決定要因がある。すなわち、まったくもってつまらない内容であれば、アクセスしたものの「時間の質」は残念ながら下がります。つまり、他人。 そして、3つめが自分自身。環境が悪く、与えるもののレベルが例え低かったとしても、最終的に「時間の質」をいつも決定しているのは自分であるということです。狭い部屋、悪いPC、つまらないHPであっても、そこにアクセ スしている以上その時間をその状態の中で最高に学んだり、利用したり、楽しんだりするのは、自分自身の責任あるいは心の持ち用なのです。 環境や他人に「時間の質」から生じる結果の責任をいつも置く人は決まって、いつも「イライラ」したり、「ムカツキ」感があったり、「グチ」っていたりします。それはなぜかといえば、環境や他人は自分では変えられないからです。変えられない事に原因や責任を持っていけば、どんなメンタルタフネスの人間でもそのような感情は生じてし まいます。そのような感情は「時間の質」をよけいに落とすので、結局より以上に結果 を逃す事になる。そして、またその原因を変わらない事や人に置き、「時間の質」を下げてしまう。という悪循環になっています。 「時間の質」や結果の原因や責任は自分にあるのです。自分自身の捕らえ方1つで、「時間の質」は変えられます。自分が変われば、「時間の質」は変えられます。すなわち、結果 もよりふさわしいものと変わるのです。 どうか皆さん、それぞれの1度きりの人生、自分自身で質の高い時間を過ごす努力をしてください。そのための、 心構えやコンディショニングについてのアドバイスをエミネクロスでは行っていきたいと思っています。
『アメリカスポーツ王国』 アメリカ西海岸を中心に4泊6日のスケデュールで訪れました。目的の1つにはエミネクロスメディカルセンターのめざす新しいスポーツの概念とそれに基づくスポーツクラブ化構想への理解者と協力者をアメリカでもさがすためです。企業の方やアメリカバスケットボ−ル界のトップコーチたちとお会いすることができました。彼らの日本のスポーツに対する印象は異口同音、「楽しそうじゃない」「やらされている」というものでした。
そう現実にスポーツが普通に日常生活の中にあり、楽しみのためであったり、人間形成のためであったり、健康づくりのためであったり、コミュニケーションの手段だったりしているアメリカこそまさにスポーツ文化の発信地だと感じさせられました。これまでもそしてこれからもエミネクロスで確立していこうとする新しいスポーツの概念、『スポーツは医療である、芸術である、コミュニケーションである、教育である』がまさにそこに存在しているという印象です。一方、アメリカはスポーツビジネスへの興味やエネルギ−投資も極端に盛んです。 しかし、エミネクロスはまず何より皆様に喜ばれ皆様のQOL向上にスポーツが役立てるような正しいスポーツのあり方を確立し、それを提供させていただくことを謙虚に仕事とさせていただこうと考えております。それがわれわれのやり方です。目的の中心は、アメリカスポ−ツ医学学会の分科会でhealth & fitness summitというものに参加することでした。通常の例年行われているアメリカスポ−ツ医学学会と違い小振りでしたが、現場で実際にスポーツを広い意味での健康医療として実践されているシンポジストが有意義な発表をたくさんされていました。こんなところでもまた違ったスポーツの広がりと発展が着実に行われているという実感をさらに強く受けました。特に、運動習慣のない人たちが、どのように行動変容していくのかというさまざまなアプローチに関する討議は実践経験のある方々ならではの白熱したものでした。 これらの合間にNBAの試合を観戦するチャンスも得る事ができました。ロスアンジェルスのステイプルセンターで行われたレイカーズ対ブレザーズの試合です。会場は2万人でほぼ満席。3階席のコートからははるか彼方の席でしたが、会場のファンの楽しみ方、応援の仕方、チームの盛り上げ方、そしてスポーツとしての面 白さや技術の高さなど全身で体験させられました。試合をオーガナイズする力、チームのスポーツレベル、選手たちの社会力、ファンたちの理解力、これらすべてがそろってはじめてスポーツは文化としてわれわれに何かすばらしいものをもたらしてくれるのだということを痛感しました。 これらの体験を活かし、今後エミネクロスでも1歩1歩今できることを行い、皆様のご理解を得ながらすすんでいきたいと思っております。何卒よろしくお願い致します。
『QOLについて』 QOLとは何でしょう?Quality of Lifeの頭文字をとったものです。キューオーエルですね。 日本語にぴったりのよい訳がないのですが、人生の質、あるいはその人にとっての幸福感みたい なものでしょうか?幸福感といったのは幸せとは絶対的な指標などなく、すべてはその人にとっ ての主観だからです。QOL、人生の質、あるいは幸福感はどのようなものからくるのでしょうか? その解答は極めて難しいですね。しかし、私は今のところこう考えています。人間が大切にし ているQOLの構成要素は大きくわけて、社会性・経済性・健康性の3つです。この3つを失えば、 QOL、人生の質、幸福感は、急激に人間として下がったものになります。すなわち、孤独で貧乏 で病気状態です。このことを否定する人はおそらく少ないでしょう。したがって、この3つが大 切であることはわかります。しかし、大切なのはそれぞれどういったもので社会性や経済性や健 康性というファクターから人生の質や幸福感を見い出しているのかということを知ることだと思 っています。そう、人それぞれそんなものは違うのです!しかし、今の医療に欠けているのはま さにそこなのではないかと思っています。お金なんかで自分の人生の質は上がらないと豪語する 人もいるでしょうが、もちろんお金を食べて腹一杯にして喜ぶ人などいません。だからお金とい う経済性はお金で何がしたいのかということがあるからQOLが向上するのでしょう。したがって、 どう何に使うのかはまったく1人1人で違うわけですね。社会性だってまったくどうQOLと感じ るのかは人によって違う。社長や教授など偉くなって地位や名誉で社会性のQOL幸福感を感じる 人間もいれば、社会貢献やボランティアで人生の質を感じる人たちも少なくない。健康性でも同 じ事が言えるのではないでしょうか?健康といってもその範囲は広いのです。心の面もあるでし ょうし、身体の面もある。しゃにむに、体脂肪率の数字に一喜一憂したり、骨密度の0.02などの 違いに悩んでいる人も多いのですが、その人のQOLはいったいどうなのでしょうか。結構、心の 面でその人の幸福感が決まっているなんてことのほ うが多いのではないでしょうか? 10万円をありがたく幸せだと思える人もいれば、同じ10万円でもとなりの人の100万円 をみてより不幸感を感じる比較重視ないつもストレスフルな人もいます。今あるものに幸福と感 じられるかどうかは目の前にあるものそのもののせいではなく、自分自身の捉え方の問題なので はないでしょうか? エミネクロスではこうした1人1人に違った社会性や健康性から感じるQOLについて真剣に考 え、スポーツと医療いう題材を使って少しでもお役に立ちたいと考えています。また、特に健康 性へのアプローチとして考え方や捉え方といった心持ちについてのサポートを通じてQOL向上へ の考えを抱いております。まだ未知なる言葉、QOLに私達は挑戦していきます。
『リアル対談』
『社会力』と【ペイフォワード】 これから21世紀のテーマは『社会力』。自分らしく、自分の力を発揮するために必要な能力が実はあるのです。スポーツの世界では、練習で実力を発揮できるのに本番で発揮できない選手がいます。それはなぜでしょうか。練習は仲間、身内だけでやっています。コーチもチームメートもわざと負けさせようとしているような人たちはいません。またそのような人たちに囲まれているチームなどありません。しかし、試合ではどうですか?まずあなたを負けさせようとし、あなたの力を発揮させないようにする相手がいます。そして、ミスジャッジするかもしれない審判がいます。野次をとばす観客がいます。さらに、失敗やミスをスキャンダル報道するマスコミがいます。これらの環境は普段の練習と何が違うのでしょうか?
『スラムダンク勝利学出版記念パ−ティ−報告』 先日1月26日にスラムダンク勝利学出版記念パーティーが東京ベイインターコンティネンタルホテルで行われま
した。ご参加いただいた方はなんと180名強にもなりました。たくさんの方々にスラムダンク勝利学の出版を祝っていただき、またこれからの発展を応援いただき心から感謝しております。本当にありがとうございました。
『大切でむづかしいコミュニケーションについてーその2−』 メッセージを上手に送ることができても、残念ながら受取人としてはとても乏しいことが多々あります。幼い選手や子供の親や指導者はコーチとして、メッセージの送り手と受け手の両方を満たしていなければならないでしょう。メッセージの受け取り条件はかなり単純です。しかし、多くの親やコーチにおいて、受け取りは自分の意にそぐわなかったり、話す方が好きだったりするので、送ることよりもその能力が不十分な場合がしばしばあります。 _ 言葉での指導はいつも簡単、簡潔に。 _ 言葉でない指導のフィードバックを提供するには、デモンストレーションを用いる。 _ 学習に困っていたらスローモーションのデモンストレーションを使う。 _ いつもポジティブな言葉でフィードバックする 。 子供や選手のバカふざけや危険な行動に対してしかったり、一時的に活動から外したり、罰を与えなくてはならないのは当然です。しかし、子供や選手のエ
ラーをしかるのは避けるべきです。一生懸命やった上で犯したミス(honest mistake)に対して注意することは、彼らに今後試すことさえも恐れさせてしまうからです。
さて新世紀をむかえ、新し くなるHotMSGにて、 私たちが今もっとも大切にしなくてはならないもの、『コミュニケーションと子ども』について、2回にわけて書いていきたいと思います。
また、2001年よりこのHotMSGは原則として2週間毎にアップしていきますので、 どうぞお楽しみに! 『大切でむづかしいコミュニケーションについてーその1−』 子どもたちを指導していく際に、いかにこちらのメッセージを上手く伝え、上達
させていくのかということは最も大切な指導の基礎です。そのためには、子どもたちや選手とコミュニケーションが持てなければなりません。さて、コミュニケーションとはこちらの意志を伝え、相手がそれを理解し、そしてそのことを相手がどう理解したのかをこちらが再認識するということを指します。したがって、
一方的にこちらの意志を伝えただけではコミュンケーションとは呼べないのです。例えば、インターネットによる電子メールによるやり方は、情報の発信にはなっているかもしれませんが、コミュニケーションとは呼ばないケースもあります。すなわち、相手がどう受け取ったのかといことがわからない場合が多いから
なのです。スポーツの指導においては、このような情報の発信だけでは子どもた ちや選手は育たないでしょう。そこで、今回は子どもや選手を指導する際のコミ
ュニケーションの原則について述べてみたいと思います。 子どもたちにメッセージを送る場合に以下の4点が重要です。 ・ プラス思考で正直であること まず「プラス思考で正直であること」というのは、常に文句を言っているコーチ
で育った選手は自分の実力にいつも不安を持つことになります。選手の良かったことを適格に褒め、励ますことが必要です。しかし、選手の向上のためには間違いを指摘し修正してあげる働きかけもまた必要です。そこで、“褒め言葉サンドイッチ”というコミュニケーション方法があります。まず、子どもや選手が何を正しくやったかを指摘する、そして子どもや選手には何が間違っていたのかを教え、どうやって直せば良いのかを教える、最後に子どもや選手が正しく上手にやったことを再び強調して、勇気づけてあげる。この手法を常に意識していることが、子どもや選手とのコミュニケーションにおいてまず大切です。 Hot Message
from Dr.TSUJI 11月号 シドニーオリンピックより学ぶこと 練習は自分と仲間そしてコーチにより構成されています。いわば内輪の世界。それでは試合になると何が違うのでしょうか?試合は相手がいる、審判がいる、観客がいる。さらにオリンピックであればマスコミがいる、ファンがいる、テレビを通 じて全世界の人たちがいる。内輪の練習と本番の試合とでは、そこに社会が存在するという点が最も違うのです。だからこそ、この『社会力』を練習を通 じてあるいは練習以外の日常生活の中から育てていかなければ本当にふさわしい結果 は来ないでしょう。本当にふさわしい結果とは実は変化の集大成、そして正しい意識により行われた正しい行動の集大成と考えたい。そこで、『社会力』、変化、意識をキーワードにシドニーオリンピックを検証し、学んでみたい。 結果は変化の集大成である。これまで、バルセロナ、アトランタと2度のオリンピックで実力世界ナンバーワンと言われた柔ちゃんこと田村亮子選手。これまでのオリンピックではどんなに実力があろうと、本番では銀メダルにふさわしかったのである。準決勝で優勝候補のライバルでもあるキュバのサボン選手に勝った。しかし、本人が述べているようにこの時はこれで金メダルと思ってしまった。そうこの時点で正しい意識ではない。今するべきことから意識が完全に未来に飛んでしまっている。すなわち、社会力は小さいといわざるをえない。しかし、彼女はこれまでのこうした経験をいかし、今度のシドニーまでに変化してきたのである。すなわち、変化は技術だけでなく、心持ちや意識にもあてはまるのである。このシドニーでは金メダルを取るのにふさわしい意識を持ち続けたことに間違いはない。その変化にふさわしい金メダルという結果 がついてきたというわけである。 目標を設定しそれに必要なすべての存在を好きになる、この『社会力』は極めて高度な力である。しかし、これを備えて見事に金メダルをとったのが、マラソンの高橋尚子選手であろう。その力を内発的動機づけとも呼ぶが、この力を育てたのはまさに小出監督のほめると言う指導に他ならない。褒めるとは変化・向上を指摘し喜びと感じさせ、快あるいは好という感情を自ら作り出すことのできる内発的動機づけを育てることと定義する。内発的動機づけを育てたすばらしい指導者と『社会力』を備えた優秀な選手のコンビは世界1という結果 をふさわしいものにした。 さて同じ銀というメダルの色は同じ、すなわち結果は同じでも、その意味はさまざまだということを選手たちは教えてくれる。水泳個人メドレーの田島寧子選手の銀と柔道無差別 級の篠原信一選手。ソフトボールのジャパンチームとシンクロのジャパンチーム。どれも結果 は同じ。しかし、思いはさまざまだったであろう。自分の力を本当に発揮し、「くやしい」と試合直後に言ったものの、自己ベストの日本新記録で自分らしく自分の力を発揮した充実感はやはり田島選手はあったことだろう。彼女の言葉を聞き、行動を見ていると、本当にセルフイメージが大きいと思う。結果 を信じる、自分を信じるという『社会力』がここまで徹底できていることはすごい。すなわち、世界でメダルを取るにふさわしい正しい意識の持ち主だということではないか?一方、篠原選手は審判の世紀の誤審に屈した。何もあの誤審がなければ、篠原選手が勝ったと言いたいのではない。篠原選手はフランスのドウイエ選手への返すし技がイッポンであろうがなかろうが、あの判定で正しい意識がゆらいだ。その結果 残り1分以上あったにもかかわらず、その間ゆらいだ意識のために正しい本来の彼らしい行動がとれず、その結果 敗れた。すわわち、彼は金メダルをとるにふさわしい意識が五分間できたとはいいがたい。篠原選手の言葉「弱いから負けたんです!」素晴らしい言葉である。意識のゆらぎが生じるような選手であるということが弱いと彼を言わしめたのです。おそらく彼は翌日から次の大会をめざし稽古をはじめ、その積み重ねで4年後のアテネオリンピックまでに金にふさわしい変化をすることだろう。この経験を活かして。 シンクロナイズドスイミング、ソフトボール、それぞれすばらしいチームワークをみせ、それぞれにふさわしい結果
を得た。金メダルを獲得したロシアチームに比べ、どちらが良いかなどと比較することなどできない。しかし、彼女達がそれぞれの役割を一生懸命はたし、自分の演技ができたことにおそらく勝利感があったことだろう。審判の採点方法に疑問がなくもないが、そういう競技であるということがわかっていて選手たちはやっている。すわはち、そのようなことで意識のゆらぎはみられない。ただ、自分の演技をするのみ!この姿勢こそ勝にふさわしい正しい意識の持ち主たちと言わざるをえない。ソフトボールのジャパンもすばらしい『社会力』の集団であった。チームワークという『社会力』の基礎ができて
Hot Message from Dr.TSUJI 10月号 なぜ日本のメダリストは女性に多かったのか?この話題はシドニーオリンピック後さまざまなところで持ちあがっている。そこでわたしの私見をここで述べてみたいと思う。 まず、日本女性の身体的特性が男性よりも外国人に近づいているということ。しかし、これだけでは勝てないのはあたりまえである。“やる気”“情熱”についても以前述べたが、これはどうなのか?
この夏あの『パッチ・アダムス』が日本にやってきた。日本でもすばらしい講演会や病院・医療施設訪問を行い、彼のテーマである「愛と友情とユーモア」を日本中に伝えてくれた。彼は「ユーモア(笑い)と健康」、「ユーモア(笑い)と社会」の関係を実践あるいは科学的見地から語る。そうこの“ユーモア(笑い)”を“スポーツ”に置き換えれば、まさにわたしの考えそのものなのだ。今回の来日でわたしは、残念ながらお会いすることができなかった。しかし、いつの日にか日本のスポツ版パッチ・アダムスとなりお目にかかれると信じている。またそれまで日々「スポーツ人間学」の理想に燃え、みなさんに支えられながら精一杯努力していきたいと思っている。 彼は、健康を「病気でないこと」とは考えていない。病気がなくても幸せでなければ健康でないし、病気があっても幸せであれば健康であると考えている。幸せになろうと努力すれば、誰でも健康になれるというのである。 「健康」とは、心も体も活力に満ちて幸せな状態であること。その状態を作り出すものとして、『パッチ・アダムス』は愛・友情・ユーモア・優しさ・芸術・創造力・趣味・想像力・驚く心・好奇心・食事・運動・信仰・自然・家族・地域社会・世界平和などを挙げている。 彼の理想は「人間の人間による人間のための医療Human-Based Medicine」である。 われわれも今一度考えてなければならない。人間として。そして、スポーツを柱に人間のQOLを見つめ考え活動していく『エミネクロス』もそうありたいと願う。と同時にまたそのためにの精進を怠ることがないよう心せねばなるまい。
先日、全日本車椅子バスケットボールチームのアメリカ遠征に参加してきました。今年10月のシドニーパラリンピックの前哨戦ともいえる大会で、毎年この時期に世界の強剛がアトランタ近郊のルーズベルトリハビリセンターというところに集い総当たりのゲームを行うのです。 選手たちに2日遅れで、アシスタントコーチでもある東野君とアトランタ直行デルタ56便で8月22日出発しました。離陸後2時間ほどしたところ、機内放送とステュワーデスさんたちの『お医者様いらっしゃたらお知らせ下さい』という呼び掛けがあったのです。あのハイジャック事件のときと同じです。機長さんの最期を看取ることになったあの悪夢が蘇りました。なぜならあの時も東野コーチと一緒でしかも車椅子バスケの仕事なのですから。
さて、大会はといえば、世界の強剛、そして世界の車椅子バスケのトップアスリートが集まり競技するそのレベルの高さに感動しっぱなしの5日間でした。
カナダチームにいるパトリックという選手などそれなもうジャンプしないマイケルジョーダンといっても過言ではないほどのすばらしいプレーと人間性なのです。施設の充実度にも感心しましたが、彼らのハイパフォーマンスには驚きの連続でした。多くの試合を見させて頂き、スポーツドクターとして目と心の保養を充分させてもらいました。日本チームは昨年最下位
でしたが、この1年東野コーチとともにサポートしてきた成果が少しは実ってきたようで、ドイツ、メキシコに勝つことができ8チーム中6位 の成績でした。上位チームとも接戦をすることができ、来るシドニーパラリンピックに期待がもてそうな実感を得て帰ってきました。9月10月とあと2回の合宿をこなし、10月からシドニーパラは始まります。みなさんぜひ日本チームを応援してください。よろしくお願いします。
“やる気”とはどこからくるのでしょうか?なぜ“やる気”が起こったり、“やる気”がなくなったりしてしまうのでしょうか?スポーツをやっていく上で、この“やる気”こそ大切だと誰でもが感じていることでしょう。しかし、“やる気”はスポーツだけではなく、人生過ごす上でもっとも大切なものなのです。この“やる気”についてスポーツをすることによってより掘り下げて考えることができれば、スポーツのすばらしさをより満喫できるはずです。 さて、“やる気”はいくつかの言葉にも置き換えることができると思います。その1つに『情熱』というものがあります。『情熱』の源には2つあると私は考えています。その1つはその行動や行為、活動により得られるものとそれによって失うあるいは犠牲となるもの、それぞれの差により生じるものです。情熱の大きいヒトはその行動・行為・活動を行うことによって得られるものが、それを行うに当たって生じる犠牲よりも大きいと優ったときに『情熱』をもって取り組むのです。苦しいことをしてでも、大きな良いことがあるとわかれば、『情熱』をもってヒトは本当にがんばるのです。
そこで『情熱』の源となる2つめの条件について述べてみましょう。日々の生活に“快”があれば、それそのもので“やる気”に結びつくはずです。ヒトが何に“快”を見い出すのか?“快”の原点は向上・変化により生じる喜びではないでしょうか?向上していくことへの喜びを追求し、変化していくことにうれしさを感じていければ、“快”は存在します。すなわち、『内発的動機づけ』は将来の手に入るものにつながるまで、日々の生活や練習を充実させてくれることでしょう。
さて、これらのことを何度も何度も読み、考え、“やる気”『情熱』『内発的動機づけ』“快”などのキーワードを自分のものにできたとき、メンタルタフネスにつながると考えては如何でしょうか。またそれを楽しみに努力してみるのは如何ですか?スポーツ競技はそのようなことをわれわれに気付かせてくれるすばらしい人間の生み出した文化だとわたしは思っています。
6月よりホームページをリニューアルし、より皆様にエミネクロスをわかっていただけるようになったと信じておりますが如何でしょうか?
皆様、こんにちは。5月のHot MSGの原稿が遅れたことをまずお詫びします。
平成12年度の始まりです。エミネクロスも開設1年を迎えました。さらにエミネクロスの飛躍にむけ努力を続けて参ります。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
みなさん、チアリーディングというスポーツをご存じでしょうか?アメリカンフットボールなどのスポーツで選手
を勇気づけ応援すると同時に、応援に来ている人たちをも精いっぱい盛り立てている女の子たちの活動です。 スポーツと哲学 スポーツにおいて哲学が必要なのかと言う質問をされることがある。スポーツ心理学やメンタルトレーニングなどがはやるこの頃、スポーツ選手にとって真に必要なことはそれらを捉え利用し身につける日頃の考え方や生き方こそがまず大切だと私はスポーツドクターとして考えている。哲学とはその人の思考や行動を貫く生き方です。これを明確にし、築き上げていくことこそがスポーツの意義であり、またその哲学がスポーツを強くし勝利へと結び付けるものと信じている。スポーツドクターという仕事柄さまざまな指導者やコーチの方とお話しをさせていただきさまざまな哲学に触れる機会がある。個人的には面 識はないが、まさに哲学をスポーツで強調し強いチーム作りを実践されている指導者の中でも有名なのが現阪神タイガースの野村監督である。野球を通 じて人間教育をしていく、また社会に通用する人間作りをしていくという哲学がまた不思議とチームを強くさせるのである。スポーツでただ勝つことと一流の人間作りは決して反対方向の思考ではないはずである。しかし、日本のスポーツにおける指導法は後者の目的を忘れたものとなってしまっている気がしてならない。一流の人間がもつ思考方法や生き方、すなわち哲学はまさにスポーツで勝利するのに必要な条件なのである。その視点でスポーツを捉えてほしいとスポーツ関係者として心から願っている。ただ、哲学といえるにはそれが良いものでなければならないだろうし、またその人の生き方を常に貫いているものでなければならない。 1つの目標を全員で達成させる上でチームの哲学もまた必要である。これをチーム理念と呼んでいる。チームにはさまさまな守らなければならないルールが存在するが、精神的にチームのベクトルを一方向にさせるものが理念である。チーム理念を与えるのは他ならぬ 指導者である。その理念はまた指導者の哲学から生まれるのである。すばらしい哲学のもと勝利に結び付くチーム理念を構築されている方で個人的に尊敬している指導者に全日本ラグビー監督の平尾誠二さんがいらっしゃる。平尾哲学の中でも特にすばらしい理念の1つに”理解する”というものがある。さまざまな個性の強いプレーヤーが集まるチームで最も必要な条件の1つが”理解する”能力だと強調されている。速く走れる、ボールを正確に投げれる、などと同じで”理解する”ということも能力なのである。お互いが何が共通 点で何が相違点なのかを知るという”理解する”能力である。それは己を知り、自己犠牲の精神もあり、さらに相手を知り、相手を活かすという精神力があって始めてできる能力であろう。このことの重要性を徹底的にチーム理念にし全日本や神戸製鋼ラグビーチームの成果 を出されているのだといつも感心させられている。もちろん、勝つためには心技体すべてが重要であろうが、すばらしい指導者の哲学とそこから生まれたチーム理念、今一度このことをスポーツ現場にいるものとして考え直したい。 皆様、新年あけましておめどうございます。 一日が終了しまた次ぎの日がやってくるといういつもと変わらぬ 時間経過が1999年12月31日から2000年1月1日では特別と感じてしまうのはなぜでしょうか?はたしてこの2000年という年はわたしたちにとって特別 な1年となるのでしょうか? 近年さまざまな宗教がよい意味でも悪い意味でも世の中を騒がしています。Spiritual
な話題を含めばさらにたくさんありました。心の問題を語ると、とかく宗教的といわれ危険さをイメージしてしまうのもなぜでしょうか?しかし、このような時代に心の大切さが問われているのも確かです。わたしはまったくの無宗教論者ですが、これほど心の荒廃した時代にスポーツこそわれわれに何かを与え教え育ませてくれるものはないのではと信じています。人間がつくり出してきたもので、いま人間は自分達の首をどんどんと絞めてしまっています。原子力、戦争、自動車、電磁波、公害など、その数は枚挙にいとまはありません。自然はそんな中わたしたちに多くののものを教え癒してくれます。自然の大切が強調されているのもうなづけるでしょう。人間を救い、ますますの発展をするため、自然や宇宙など本来の姿や初心、そして原点に返る必要があるでしょう。そして、そのちからを借りなければ人間は救われないのかもしれません。しかし、人間自身がつくり出したもので人間自身が救われ成長できるものに芸術とスポーツがあります。本来、スポーツは人間を救い成長させ癒すもののはずです。それは芸術に優るとも劣ることはないのです。
この1年一瞬一瞬を大切にして過ごしていきたいと思います。 『お受験騒動で世の中かなり騒がしいことになっています。お受験なるものははたして本当に悪いのものなのでしょうか?子供にとって、大人がつくり出した最悪のシステムなのでしょうか?お受験が悪いのではなく、それを扱うまたは利用する大人次第でそのようなものになってしまうのではないでしょうか?まるで、スポーツのように。スポーツは本来すばらしいものです。しかし、それに携わる大人やコーチが間違えたように捕らえ指導すれば、子供達にとってつらくきつく、またきたなく怪我もし何の学びもない活動になってしまいます。実際にはその犠牲にあって、本来スポーツから学ばなければならないことを知ることなく引退してしまう選手や子供達が非常に多いのです。本来スポーツから学び得られるすばらしい財産とは、 (1)勝利による達成感 などのはずです。しかし、親やコーチは子供たちに異常な期待をよせて、プレッシャーをやみくもにかけ、その結果 オーバートレーニングや摂食障害などにより悲惨な結末を招いていることすらあるのです。競争の中でいじめや足のひっぱりあいまでも経験させ、スポーツの楽しさや達成感はいったいどこにいってしまのでしょうか、という選手や親、コーチは多数います。どこかの大学体育会で不祥事が起きれば、スポーツが悪いと散々報道されてしまいます。すなわち、“おスポーツ”が悪いのではなく、それを取り巻く環境やそれを扱う親やコーチがスポーツをそういう印象にさせてしまっているのです。 さて、今回の“お受験”も“お受験”そのものが悪いのではなく、それを取り巻く塾や親がそれを悪いものにしているのであって、単なる子供はそれの犠牲者なのではないでしょうか?決して“おスポーツ”や“お受験”の犠牲者なのではないのです。“お受験”も実は目標設定や努力の仕方を学べるでしょうし、幼少児であればさまざまな知育・体育をより早くから学べるし、成長もある。しかし、スポーツと同じで、結果
がすべて、他人との比較によって人間的価値が決まるといった近視眼的評価が子供を苦しめているのではないでしょうか?子供の良いところを信じ、それを伸ばしそこに生じる変化を楽しみ、子供と一緒に成長する。長期的にみれば、そう育てた子供こそが、将来自分らしく自分の力をいつも発揮し、自分にふさわしい人生を歩むことができるはずです。親やコーチの見栄のために子供は存在するのではなく、子供がうれしいことこそが自分もうれしいと感じ、子供や選手のおかげで自分も成長できるのだというぐらいの気持があれば、必ずや無限の可能性のある子供はその子らしく成長すると思うのですが如何でしょうか?そうした取り組みで選手を本当に一流の結果
に導いているコーチもいますし、受験でもそうした親に育てられた子供達の方がよい結果 を出しているという事実もあるのです。
こんにちは、今月もエミネクロスメディカルセンターのホームページにアクセスいただきありがとうございます。
『10月28日(木)発売のヤングジャンプになんとあのスラムダンクの井上雄彦先生が車椅子バスケットボールの読み切りマンガを書かれました。わたしがスラムダンクに学ぶ勝つための意識講座を私がバスケットボールマガジンに連載をはじめて約2年弱。今年7月これらをまとめて小冊子を発行し、9月6日の読売新聞の夕刊にも大きく取り上げられ大ブレーク中です。これを契機に井上先生にもわたしのスポーツ哲学をご理解いただき、先日もいっしょに下北沢で食事会をさせていただける機会ももてるようになりました。バスケットボールを愛する気持ちはわれわれにも負けずものすごいものがあり、またユーモアのセンスも抜群。スポーツや社会事情談義に花咲いた非常に楽しい食事会でした。しかも井上先生のおごりで・・・・。ごちそう様でした。 その井上先生がなんと今年度からわたしもチームドクターをさせていただくようになった車椅子バスケットボールの漫画を書かれるなんて。すごいつながりと思いませんか?車椅子バスケといえば全日本の合宿でわたしはあのハイジャックにあっているのです。あの事件はわたしに大きなトラウマとして今でも残っています。 さて今回の漫画、題名は”リアル”。われわれは逆境にたった時こそ本当の自分が出るのではないでしょうか。
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