いよいよ今週から21世紀初の冬期オリンピックがソルトレイクシティで始まります。ワクワクしますね。夏のオリンピックと違って、冬のオリンピックは自然相手です。自然相手のスポーツは自分自身の技術や体力を鍛えることだけでは結果を得られないものが 存在しています。以前にTsuji
Sports Worldでスキージャンプの原田雅彦選手と対談トークショウをした時の原田選手のコメントを思い出します。自分がどんなに完璧なジャンプをしても風という自然の力が味方にできなければ、結果がでないことがある。そして、マスコミやファンは失敗ジャンプと酷評する!しかし、自分が大失敗しても、偶然風と言う助けがあれば、大ジャンプにもなる。そして、まわりの人たちは大喜びし祝福してくれるのだと・・・。
スポ−ツ選手のメンタルトレーニングにおいて、行動にふさわしい結果は必ず来ると教える事があります。だから行動に集中せよと。しかし、この自然相手の冬期スポーツではそこに矛盾が生じるのではないかと考えがちですが、本当にメンタリティーの高い選手たちは、そう捉えていないのです。だからこと素晴らしい結果を得れられるのです。原田選手しかりでしょう。
それではどう考えているのでしょうか?勝ちという結果は自分の中にあるとする考え方です。原田選手自身にとっての勝ちとは、その状態、その環境、その瞬間に、自分ができる最高の行動をすること、そのことを勝利と位置付けています。すなわち、最高の行動すらできず、本当にふさわしい結果を手に入れることができない選手や人たちがたくさんいる。そんな自分ではどうしようもない力の中で生きながら、自分の力を発揮しようとするわれわれ現代人に冬期オリンピックで活躍する多くの選手の姿はきっと多くのメッセージを与えてくれる事でしょう。
そんな期待がわたしにはあります。ただし、寝不足になりそうなのが心配です。
ソルトレイク・オリンピックもあっという間に終わりました。4年間待って、本当にあっという間とはこんな感じなのでしょうか?
今回のオリンピックのわたくし個人の総評は、スポ−ツ文化先進国のアメリカが、本来のスポーツの社会的意義(ソーシャル・パフォーマンス)を伝えるはずのオリンピックをテロの影響で戦争社会の投影にさせてしまった印象があります。スポーツにおける社会的メッセージをよく知ったアメリカでは、スポ−ツ選手の価値観を競技力とともにわたしの主張する社会力においています。いわゆる日常社会に必要な生きる力をスポ−ツ選手に期待し、それを持った選手を応援し、かつ誇りに思っていたと思うのです。ところが、この日常社会に必要な生きる力(社会力)を応援するはずが、日常社会でなくなってしまっている今のアメリカでは、本来Educational
Sports Psychologyに支えられたこの社会力の意味が変わってしまった感があります。社会が変われば、社会力も変わります。社会力の意味がかわれば、世間がスポ−ツ選手に期待するものも変わるでしょう!拍手や応援の意味、意義もいものアメリカとは違った印象を受けたのはそのせいではないでしょうか?
日本人の活躍についても賛否両論あると思いますが、まずオリンピックのイメージそのものがわたしの期待したものとずれていたように思いました。みなさんは如何だったでしょうか?
来週からはじまる、パラリンピックに、スポーツのメッセージを期待しています。
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2002年3月後半号vol.27
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先週はバスケットボール・スーパーリーグのファイナルが代々木第一体育館で行われました。木曜日夜に第一戦。両チームの関係者で会場は立ち見でした。雰囲気はかなり盛り上がっていた会場で、バスケ関係者としてはとてもうれしいものでした。いつものスーパーリーグのガランとした会場や盛り下がった雰囲気とはやはりひと味違っていました。ゲ−ム内容は1戦目は前半トヨタの一方的試合で、61ptをたたき出し、30点差でほぼ決まり?って感じでした。しかし、ゲームには必ず波が存在します。前後半60ptがはいるようなことはバスケではほとんどありません。案の定、第3クォーターにいすずが一気に追い上げて3pt差となりました。
ここで肝心なことは、このようなゲ−ム波をはじめから予想し、ベンチがあわてないことだと思うのです。このようなケースで敗れるのは、3pt差に追い付かれたことではなく、選手はなんでなんだろうと思って、一生懸命にとりくめなくなったり、ベンチの慌て方が敗因となるのです。このゲーム、トヨタのベンチは揺らがなかった。観客席のわたしからはそう見えた。すばらしい!!小野ヘッドコーチと東野アシスタントコーチ。
結局トヨタが勝利しましたが、勝因はそこにあったと私は思っています。なんで、30ptもあって第3クォーターああなったの?という質問が飛びそうですが、その技術的解説は専門家にまかせ、わたしの意見はそういうもんだということです。
結局2戦目もトヨタはものにして、初優勝を飾りました。いすずは今期限りで廃部ということもあり、エネルギーを感じない印象がありました。通常最後の年とかは外圧がかかるものですが、いすずの場合むしろ廃部はマイナスの外圧になっていたような印象でした。それがなぜなのかは不明です。ヘッドコーチの小浜さんの御自身の引退もありエネルギーに欠けていたように思えましたが・・・。
それにしてもトヨタは日本人と外国人がそれぞれの役割をうまくはたし、機能している組織チームを感じさせたのは私だけだったでしょうか?
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年4月前半号vol.28
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新年度を迎え皆様、お元気ですか?
年度末から超多忙でこのHotMSGの原稿が遅れていましたことお詫び申し上げます。
忙しい中、新しい刺激がほしく、映画をみてきました。
『モンスターズインク』です。感動しました。パッチアダムスに通じるテーマがありました。子どものもつ純粋さと可能性、やさしさの発見、人間が忘れてしまったもの、人間に必要なものは本当は何なのか、などメッセージがたくさんありました。ブーありがとう!わたしもサリーになりたい!というのが私の感想です。ディズニーとピクサーによるすばらしい作品だと思います。ぜひ皆さんも御覧下さい。
今5月出版予定の『子どもの「生きる力」を伸ばす3つの習慣(仮題)』(PHP研究所)の最後の原稿追い込みなのですが、この映画が潜在的に何か参考になったような気がします。
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年4月後半号vol.29
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先日、東大野球部をサポートしている関係で、神宮球場に六大学野球の春季開幕カードを見に行きました。東大VS慶應です。六大学野球を観戦するのは、エミネのスタッフで現在アメリカにスポーツ心理で留学中の布施努君が慶應の現役だったころからですから、かれこれ15年以上ぶりです。
第一印象は伝統があるなあ、です。売店や座ぶとん売りのおばさんやお姉さんがなぜか懐かしい感じ?また、観客席にはOBを中心にして、さまざまな方々がきています。つまりスポーツの現場に高齢の方々がいるというのも六大学ならではでしょうか?彼女や追っかけのような若い女性たちもいます。通常他のスポーツの大会に比較して実にいろいろな人がいるというのが印象です。
観るものにとって、野球はスポーツを楽しみやすい競技だという印象も受けました。試合展開がゆっくりしているのです。いろいろなことを考えたり、観たり食べたりできるのです。その空間にいること自体がのんびり楽しませるような気がしました。もう1つは応援です。東大、慶應ともに応援団(援部の連中、チアリーダーたち、ブラバンたち)が試合を終始盛り上げてくれます。あの試合にあの音がないなんて考えられません。さらに応援は参加する学生たちやOBたち自身がまず楽しんでいることもわかりました。つまり観客も楽しんでいる・・。
大リーグのボールパークにもイチロ−選手のおかげで眼が行きますが、日本にある長い歴史に裏づけされたスポーツの良さを感じた土曜の昼下がりでした。
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2002年5月前半号vol.30
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中学校以来、国語や作文、読書感想文が大の苦手だったわたしが本を書いている。昔の同級生にはほとほとバカにされている。まず、字の汚かったわたしの原稿をどうやって、編集の方が解読するのか、からはじまっていった辻の作文を誰がお金を払って買うのだ、とか、やられている。でも、ほとんどの仲間が「スラムダンク勝利学」は読んでくれているのだ。ありがたい。最近は「人のためになる人ならない人」を読んだというメールをいただく。感謝!。
さて、読書がまったくきらいだったわたしも作家(?)の端くれからか、ドクターとしてか、社長としてか?本屋にしょっちゅう足を運ぶようになった。本は楽しい。スポーツと同じように自分を成長させてくれることにやっとこの年になって気づいた。
ハイブロ−武蔵さんが『本を読む人はなぜ成長するのか』という本の中にすばらしいことをおっしゃているので紹介しよう。
「本を読む人が人間的に成長するわけについて。人間として成長するというのはどういうことか。
それは、より、自分の存在価値を高めていくことである。言い換えれば、自分の生きていく張り合いを知り、より人のために、社会のために役立とうと意欲し、その道を着実に歩んでいくことである。
本を読む人は、問題意識を持っている人である。問題意識とは、自分は何のために生き、自分をどう生かすことが最良なのかを知ろうということである。
この自分を生かす道を問い続ける作業こそ本を読むということである。だから、本を読む人は人間として、自分の存在価値を高めていく人であるのだ。つまり、人間として成長していう人なのである。
私も、せっかく、人としてこの世の中に生まれてきた以上、ぜひとも成長し続けたい。この世での存在価値を高めていきたい。この世に少しでも役に立つ人間になりたいと願う。
だから、仕事がいかに忙しくても、いかに、お金がない時でも、本を買い、本を読もうと思う。
人間として死ぬまで成長していきたいと思う。
人生は言葉だ。いい言葉をたくさん知ること、生きがいを見つけるための言葉をたくさん知ること、相手を歓ばせる言葉をたくさん知ることが、人として成長することだ。だから、本を読む人が成長していくわけが、ここにもある。
言葉をふやすということは、本を読むことがより基本である。人から聞いて言葉を覚えるということも、大切である。それは赤ちゃんを考えればよくわかる。
しかし、人として、もっと、もっと、深く大きく成長していくには、書物から言葉を学ぶことが必要になってくる。
人は、より適切な言葉を使うことを覚えていくことで、人として成長できていく。」
以上、なかなかすばらしい文です。わたしも言葉を大切にしたいと思っている。
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2002年5月後半号vol.31
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『千と千尋の神隠し』を今頃になってはじめて見てきました。映画の中の不思議な世界に、はじめは圧倒されたような感じでした。物語には、疲れ切った神様、りっぱな神様、孤独な神様などさまざまな神様が登場しますが、実社会そのものであったり、実社会を映す鏡なのだとつくずくと思いました。10歳の女の子、千尋がさまざまな環境と経験の中で変化していくさまが、すばらしい!特に、表情の変化が実によい。あのような環境のなかだからこそ、彼女の本来もっているよいところが発揮され、それとともに新しく目覚めていった部分もみえてきます。彼女の置かれ試された環境では、たった2つだけのルールがあります。「いやだ」「帰りたい」とぐちってしまったら、即刻どうぶつにされて二度と人間社会に帰れなくなってしまうこと。そして、仕事につき働いていないものもまた同様。逆に働きたいものどんなものでも、湯婆というこの世界のボスは無視することはできない。この2つのルールの中で、千尋はどんどん変化していきます。ふと、こういった環境の中での千尋の変化こそ、『社会力』の育成なのだとわたしは感じました。今、社会で自分らしく生きていく力を『社会力』と定義し、7月日経BPより出版するため奮闘中ですが、とても参考になったすばらしい映画でした。何回も見たいと思います。
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2002年6月前半号vol.32
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いよいよワールドカップが始まりました。もともとそんなにサッカーには関心のある方ではなかったので、観戦チケットも入手していませんでした。サッカー関係のある方から、わたしにわざわざ連絡があり、「日本のベルギー戦のチケットで食事付きの¥15万のものがありますが、先生如何ですか?」と・・。それ程の価値があるの?というのが正直わたしの感想でした。
いよいよ開幕。始めて真剣にワールドカップのプレーをテレビで観ました。それにしても、一言でいうと、予選のわずか数試合ですが、『美しい!』というのがわたしの感想です。本当にスポーツとして美しいのです。選手の1つ1つの動きはまさに美しさの原点です。判断力や技術はもちろん、身体も世界の一流は本当に美しい!!!。これまでのサッカーに対する見方がまったく変わってしまいました。Jリーグとここまで違うのか・・・。JBLとNBAの違いにはすでに目も心も慣れてしまって、驚きはなくなっている自分がいます。サッカーに観るこの違いに対する驚きが感動の基礎にあるのだと思います。
また、これほどの技術に支えられた世界一流のチ−ム同士も1点を争うというバスケとはまた別のおもしろさがあることに気付きました。点が入らないことが面白くないと思っていましたが、入らないというおもしろさがあることにやっと気付いたのです。これからの1ヶ月間新たな発見や気付きを楽しみにしながらまたこのHot
MSGで書いてみたいと思います。
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年6月後半号vol.33
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これぞアマチュアスポーツ!伝統のバスケ早慶戦に感動ーその1ー
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6月9日、日本中が盛り上がったその日の昼間、もっと盛り上がっていた場所があります。早稲田大学記念会堂体育館。60回を向かえた伝統の早慶戦です。それはサッカーでも野球でもありません。バスケットボールの早慶戦が約5000名を埋め尽くした観客の心を熱くしていました。もちろん、その数も人気もレベルもW杯の日本vsロシアには及びません。しかし、わたしが提唱するスポーツの条件は充分に満たしていたと思うのです。『スポーツは医療である、コミュニケーションである、芸術である、教育である』、すなわちスポーツで元気になれる、スポーツで会話が生まれる、スポーツで感動する、そしてスポーツで成長する。参加していた学生の選手たちはもちろん、スタッフ関係者、大会運営者、OBの方々とその家族、早慶の在学生たち、ファンの方々、バスケ関係者、そしてマスコミの方々、チアリーダーたち、応援団の人たち、そこにいたすべての人たちが元気になり、会話し、感動し、成長した、とわたしは確信しています。これぞ、スポーツがロシアと日本サッカーが行われた横浜国際競技場以外にも存在していたのです。
早慶は現在関東学生連盟の2部にいます。ともに毎年1部昇格を目指し全力投球しているチームです。昨年は早稲田が入れ替え戦、一昨年は慶應が入れ替え戦で一部に敗れ残留しています。今年の慶應は早慶戦の前週に行われた春のトーナメントで一部強剛の専修大学を敗り見事5位に入って調子を上げています。一方の早稲田は春のトーナメントではベスト8を欠けて日大と戦い敗れベスト16どまりでした。また、これまでの対戦成績は31勝28敗で早稲田が少しリードしています。昨年、一昨年ともに大接戦でわずか2点の差で早稲田が勝利しています。そんな両校の対戦です。個人的には慶應バスケはわたしが昨年まで約10年間にわたってメンタルトレーニングでサポートしていたチーム。早稲田はエミネクロスに同校卒業の東野、金田がいるために、エミネに遊びに来る学生が多く、よく知った仲の選手達がたくさんいます。
14時トスアップ。試合開始から応援の盛り上がりがすごい。両校の応援団、チア、援部、吹奏が全力で母校を応援します。OBやOGたちも必死です。もちろん、選手達はどんな試合よりもまして、試合開始から全力投球。見ていて気持ちがいい。しかし、だんだんと早稲田のペースとなり、第1クォーターは早稲田のわずかリードで終了。春の慶應の勢いには負けていない早稲田の気迫が感じられた第1クォーターでした。第2クォーターではすっかりセルフイメージの大きくなった早稲田がのびのびとプレーしていきます。しかし、常に全力投球の慶應も決して波を早稲田に持っていかれることなくついていきます。しかし、早稲田の調子があまりによく、前半だけで早稲田は50点もたき出すハイペースで10点慶應をリードして前半が終了です。今年の両校の調子からすれば一番おもしろい試合展開となりました。10分間のハーフタイムでそれぞれがどのような思いで、そしてどのような話し合いを行ってきたのかは不明です。わからないからこそ、後半の両チームの出来ばえにますます興味が湧いてきます。
そして後半誰もが想像すらできなかったような試合展開が・・・。次回のHotMSGをお楽しみに!
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年7月前半号vol.34
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これぞアマチュアスポーツ!伝統のバスケ早慶戦に感動ーその2ー
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いよいよ前回の続きです。さてW杯に負けないどんなドラマが・・・。
私なら両チームにどんなアドバイスをするだろうか?などと考えるとまた楽しくなってきます。さて、後半スタート。第3クォーターはすっかり、早稲田のペースになってしまいました。10点差からはじまった後半も第3クォーター終了時にはなんと20点差になってしまったのです。バスケットボールを御存じの方ならこの20点差の重みがわかっていただけると思いますが、実に大きな点差がついてしまいました。バスケではだいたい追いつける範囲が残り時間×2倍程度と言われています。すなわち、第4クォーター残り10分で20点差ほとんど限界ギリギリです。物理的にむづかしいのと、前回に述べたセルフイメージがこの点差で縮小してしまうがために、ますます追いつけないのが普通なのです。慶應はこの時点で選手やベンチはどのように考えていたのでしょうか?自分達を信じていたでしょうか?結果を信じていたでしょうか?一方、早稲田はどう考えていたでしょうか?まず勝った!逃げ切れそうだ!大丈夫そうだ!今年はうちのものだ!どうでしょうか?
さて第4クォーターがスタートしました。信じるチームのセルフイメージは大きい。意識を未来に飛ばし油断が生じたチームのセルフイメージは縮小します。
慶應がみるみる追い付いてきます。一度勢いに乗ると、自分達の油断に気づいてもその波はとめられないことが多いのです。何しろ20点差もあったのですから・・・。残り時間5分を切って、7点差まで追い上げていました。そうなると館内の応援もまたいけるのではないかと感じますます応援に力をいれます。その応援が選手達のセルフイメージをさらに拡大していきます。残り3分を切っていよいよ5点差。もう肉薄してきまた!
しかし、時間も確実に減っています。相手だけでなく、時間との戦いでもあります。ただこうなると追い上げる方が強い!とよく言いますが本当です。
追い上げられる方はあせりますから、セルフイメージはますます縮小します。
残り1分切ったところでついに同点。そして、残り時間20秒、慶應ついに逆転です。この試合39分40秒間早稲田がリードしていましたが、ついに残り20秒、わずか1ゴール2点差で慶應リードです。そして最後の早稲田の攻撃。5000人で膨れ上がった早稲田の記念会堂は興奮と悲鳴に包まれ、それは不思議な世界でした。最後の攻撃に挑んだ早稲田は残り1秒で4年生が慶應のディフェンスに囲まれながらもシュート。そして、そのボールは5000人の視線を一心に浴びながらスローモーションのようにネットに吸い込まれていきました。と、同時にタイムアップの笛。まさにブザービーターとなる同点シュート。
早稲田が残り1秒で慶應にうっちゃられるところの土俵際から土俵中央に再びもどした格好となりました。館内の熱気は最高潮に達しています。はたして、延長戦はどうなるのでしょうか?
10分間延長戦です。肉体的にも両チ−ムはかなり疲労困憊していることでしょう!精神的にもきついはずです。一方、まわりの観客は興奮状態で応援をつづけます。延長戦は一進一退の攻防が続きます。早稲田が入れれば、慶應もいれる。2点差の攻防が繰り広げられます。ほっとする暇などありません。残り時間が次第になくなっていくと同時に館内の緊張はますます高まっていきます。残り12秒でまだ両校同点です。90対90です。そこで早稲田のシュートに対して慶應がファール。フリースローです。ここで慶應のタイムアウト。それぞれのチームでどんな話し合いが行われたのでしょうか?12秒を残し、選手はコートにもどります。早稲田の選手がフリースローレーンの上に1人。5000人の観客は一心にこの選手に注目。ドキドキです。4年生のこの選手は見事2本ともゲット!92対90とここにきて早稲田のリードです。後はこの12秒間で慶應がどんな攻撃をみせるのか?に注目が集まります。
サッカーと違ってバスケットボールの魅力の1つはこの時間との戦いです。わずか10秒ですが、短いようで長い。いろいろなことができます。この攻撃でどうやって攻めて誰がシュートをするのか、残り12秒でのタイムアウトで話し合っているはずです。そして、ボールイン。残り10秒、ベンチ側のサイドラインを2年生がドリブルでゴールへ向かう。ハ−フラインを超えて残り7秒。早稲田のベンチの前0度の位置から2ポイントのジャンプシュート。残り4秒。放物線をゆっくり描いたボールはリングにあたってはねた。残り2秒。リバウンドを両校の選手が必死で争う。どちらも手につかず1回、2回とチップされる。残り時間は容赦なく減っていきます。そして、審判のゲームオーバーの大きな笛。早稲田の選手達はコートになだれ込んでの大喜び!そして慶應は全員がその場にしゃがみ込んでしまいました。最後にシュートをはずした2年生はガッカリ泣いています。しかし、この試合。どちらも誰でもが、はじまりからあれを入れておけばよかったと思うようなシュートは何本もあったのです。最後だけが目立ちますが、それまでの一瞬一瞬すべてが大切だったのです。それはまさに人生と同じです。最後に2点差だとはじめからわかっていたら、もっと大切にできるシュートやパスはあったでしょう。わからない時間を大切に積み上げていったもののみに、真の勝利の女神は微笑むのです。しかし、スポーツには勝つものがあれば負けるものがあります。この貴重な経験は勝ったから財産にあり、負けたから意味のないものになるのでもありません。それはこの経験をどう活かすのかという個個人の社会力にかかっているのです。
そして、われわれはこの素晴らしい時間を共有できたことによるスポーツの感動はまぎれもなく選手1人1人が全力投球し一生懸命やりつくしたことによってのみ与えられる財産であることを忘れてはなりません。スポーツは本当にすばらしい!そしてありがとうと思わず感謝したくなるのです。
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年7月後半号vol.35
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2002年7月は講演会やセミナーが目白押しだ!新潟県の高等学校講演会でも1日で学校生徒全員、体育会系学生、そして教員や保護者向けとあった。コーチングシャワーの「人のためになる人のコーチ力」は楽しかったが、久しぶりに緊張した。来られた方々が実にさまざまでしかもコーチングに詳しい人たちだったからである。また久しぶりのエミネクロス主催のクロッシングセミナー「なぜあの人は本番に強いのか?」はおもしろかった。高校生からコーチ、サラリーマン、教員、そして障害者スポーツの方々と多彩であったことだ。近著『ほんとうの社会力』(日経BP社)を中心に自分への新たな挑戦として内容と展開を新しくしてみた。
今月はまだeWomanユニバーシティの「イチローに学ぶ心の習慣」講演会やユニカル主催の「国際女性ビジネス会議」でのシンポジウムが予定されている。福祉法人主催の「健康のための日常生活」というシンポで「元気になるコーチング」を話す。
大勢の前で話すにはまずパワーが必要だ。しかし、話しを熱心に聞いてもらうことがまたパワーになっている。200名くらいならほぼ全員に意識をすることは可能だ。熱心な方や寝ている方はたった1人でも必ず感じる。全体なんとはなしに見ながら、そして話しながら、どちらにも意識を注ぎ込んでいる。森をみながら木1本1本がわかる。
また、講演内容がまったくにならないようにだけ気をつけているが、オーバーラップしてわたしの話しを聞かれる方が増えてきているのでよけいにむずかしくなってきた。しかし、「辻先生の話しは何度聞いてもタメになる。同じ話しであっても自分の立場が変われば学ぶものが違う、いつも新鮮です!」といわれると誠にホっとする。と同時に来られる方に感謝と感心する。
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年8月前半号vol.36
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みなさま、いよいよわたしの集大成?である念願の『社会力』についての本が出版されました。タイトルは『ほんとうの社会力ーあなたの力を知る、伸ばす、楽しむー』です。日経BP社です。いろいろなことと同時進行で、構想から約1年近くかかりましたが、満足のできです。しかし、今読むとのうすでに新しいことを考えている自分にも気付かされます。
あとがきをご紹介しますが、御興味あればぜひ読んでいただいて、みなさまの御感想などをお送りいただければ誠にうれしいです。
『社会力』という言葉、みなさんどのようなに理解されましたか?
21世紀がスタートした今、日本は個一人一人の弱さが露呈され、政治も経済も教育も足下から揺らぎはじめ極めて渾沌とした時代となっています。では個の弱さとは何なのでしょうか?わたしの思うところ、それは心の弱さに他なりません。それはあたかも日本のスポ−ツ選手が自分の力を発揮できずに、もがき苦しんでいるかのごとくに思えます。この個として、社会の中で生きる“心の力”の必要性に、わたしはスポーツの世界で日々仕事するドクターとしてあらためて気がついたわけです。そして、この社会の中で生きるための“心の力”を『社会力』と呼ぼうと・・。
わたし自身に『社会力』の存在と価値を気づかせてくれたのはこれまで出会ってきたすべての人とアスリートたちです。中でも一流スポ−ツ選手との対談トークショウ(エミネクロス主催“Tsuji
Sports World”)で対談させていただいたヨーコ・ゼッターランドさんです。全日本候補の高校生から早稲田大学への進学、そしてアメリカナショナルチームへの挑戦、さらにはオリンピックでの充実感や悩みなどの体験を通して、彼女の感じたこと学んだことを話していただきました。彼女とのトークではさまざまな『社会力』についてのヒントが彼女の哲学や経験などからそれはたくさんちりばめられていました。すなわち、本書の中で触れる人間としての成熟性、“心の力”です。
そして、わたしが心から尊敬する人物の一人、漫画家の井上雄彦先生の存在は本書の発想になくてはなりません。バスケットボールを題材したスポーツコミック「スラムダンク」、障害者スポーツを描いた「リアル」、そして宮本武蔵の漫画化「バガボンド」の作者です。井上先生の描く漫画には、本書で述べる個として社会の中で生きる“心の力”の必要性がさまざまなキャラクターを通してわたしたちにわかりやすくそして強く語りかけてきます。拙書「スラムダンク勝利学」(集英社インターナショナル)をきっかけに親しくさせていただいている井上先生の生き抜くための“心の力”についてわれわれに与えるメッセージは計り知れないものがあります。これまで出会ったすべての出合いがわたしを通して本書に影響を与えていることは間違いありませんが、特にこのお二人には感謝の念をたえません。本当にありがとうございます。
本書に述べるさまざまな『社会力』の実例も、本書を読んでいただいたすべての方々が自分のこととして考え日常のそれぞれの生活の中で取り入れ生きることができれば体得していくことは可能です。しかし、『千と千尋の神隠し』の千尋のようにさまざまな体験をしながらも、目的や勇気もって自分自身で考え実行していかなければ、『社会力』はただの言葉で終わってしまうことでしょう。言葉だけを読んで理解して、身についたような錯角に陥らないでほしいのです。本書を閉じた瞬間からみなさんそれぞれの社会で『社会力』育成のチャンスがはじまるのです。
最後に本書を通し、『社会力』の存在と価値に気づく自分、『社会力』のないことに気づく自分、『社会力』を身に付けようと努力する自分、そして『社会力』を身に付け自分らしく輝いている自分、をぜひイメージしてほしいと願ってやみません。
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年8月後半号vol.37
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全日本の車椅子バスケットボールのチームドクターを3年前からさせていただくようになった縁で障害者スポーツ、特にスポーツにおける車椅子バスケの可能性を考えさせられると同時にさまざまなことを教えられる機会がしばしばある。昨年に引き続き8月10日から12日の3日間、エミネクロスの及川晋平らが開催するキャンプに参加してきた。福島で行われたこのキャンプにはもちろん昨年同様にシドニーパラリンピック、カナダ代表チームのヘッドコーチであるマイク・フログリーがコーチとしてキャンプコーディネーターとなっている。このキャンプに車椅子バスケの選手として、そしてキャンプ中の参加者たちへの講演者という2つの立場で参加し、さまざまな経験をさせてもらった。
参加者は全国から、より新しい車椅子バスケットボールの技術や体験を切に望んでいる選手たち、そして自分の向上を惜しむことのない純粋なアスリートたち、そして健常で車椅子バスケのスポーツとしての魅力に取り付かれた人たちなど約60名。このキャンプには他にない魅力がいくつか存在し、それが人を引き付けるように思えるのだ。まず、車椅子バスケットボールを志そうと思った障害者アスリートたちにとって本物それも世界ナンバー1チームのヘッドコーチが提供する技術や指導を生で体験できるということである。健常スポーツに比較して、まだ情報が少ないことや、実際に一流の指導を受けられる場の少ない日本の現状にとって、これはすごく魅力のあるものだと思う。実際にマイクの指導方法は超理論的であるし、またコーチ力に極めて秀でたものであることに間違いない。技術はもちろん、わたしの提唱するセルフイメージも確実に大きくなる指導である。健常はもちろん車椅子バスケの世界でもセルフイメージを拡大させられるコ−チ力のある指導者が少ない日本のスポーツ界において、選手たちに魅力ないわけがないのである。
2つめの魅力は車椅子バスケットボールを何とか普及させたい、または向上させたいという思いの人たちが全国から大勢集まっている。そうした時間・空間への共有感が確実に味わえるということ。わたしも選手たちと同じ体育館併設の施設に宿泊させてもらったが、夜毎、宿舎の談話ホールではさまざまなグループが自然発生的に生じ、夜遅くまで熱い思いを口角泡を飛ばしながら語り合っているのである。車椅子バスケがどうしたらより良くなっていくのかと。健常のバスケットボールのキャンプでももちろんみられる光景だが、その熱き思いは健常のスポーツ関係者あるいは健常アスリートたちのそれを遥かに超える。何かこれから新しいものが生まれてくるリボルーション前夜といった感じなのである。その場にいることそのものがワクワクさせたれるのだ。スポーツとして新しい時代がはじまろうとしている、その息吹きを感じずにはおれないのである。私ならずともこの時間・空間を共有したいと思うはずだ。したがって、それを経験したものたちはまた再びという思いを必ず抱くに違い無い。現にわたしもその1人だ。
魅力の最後は健常の車椅子ファンとの交流あるいは共通体験である。わたしも健常者のはしくれとして参加させていただいたが、障害者の中に10名ほどの健常車椅子バスケの選手たちがともにゴールを目指したのである。障害者スポーツとしての車椅子バスケに興味のあるもの。わたしや『リアル』の作者である井上雄彦先生はどちらかというとこの部類に入る。一方、車椅子バスケをスポーツとして捉え純粋に興味があり、練習や自己向上の場を探しているものも大勢いた。たしかに車椅子バスケはスポーツとしても極めて興味深い。わたしも全日本車椅子バスケチームのチームドクターという立場で障害者スポーツを理解しようとするとこらからはじまったが、今回のキャンプで完璧にはまってしまった。スポーツとして自分がやりたいのである。私自身、健常バスケもまだ続けているし大好きだが、何分40歳を過ぎてやるには下半身の負担があまりに大きい。バスケをすると向こう1週間はアキレス腱炎に悩まされる。しかし、車椅子バスケももちろん激しいく上半身の負担は半端ないが、新たな挑戦への喜びを体験させられるのである。何しろ悔しい!できないことがたくさんあるから。この自己向上に伴う内発的動機はスポーツならではのものでないだろうか。しかも、この車椅子というスポーツは障害者と健常者が同じように体験でき、時間や空間を共有できる。もちろん、障害者と健常者で競い合うべきものでなはいだろうし、比べるものでも無い。むしろそこに、同じ話題と心持ちが流れるのがすごい。それは障害者にとってもよいことだろうし、健常者たちにとってもすばらしい。スポーツがバリアフリーを生み出す瞬間だと思う。決して同じになろうなどと言うのではない。共通部分と相違部分を理解しあうのだ。これこそ社会力の育成に他ならないだろう。
そんな体験をさせてくれたのがこのキャンプである。そしてこのような体験を与えてくる運営の方々の苦労は想像に難く無い。すばらしいものでればあるほど、裏方での準備と苦労は大変なはずだ。本当に心から感謝する。このような魅力ある空間に人が集まり、エネルギーが生じないわけない。すなわち、参加者すべてのセルフイメージが拡大するのである。セルフイメージの拡大したものは快を感じる。この快こそわたしがスポーツでより多くの人たちに感じてほしい本当のスポーツの魅力だと思っている。したがって、このキャンプはわたしが自分自身でも直に体験し快をあじわることのできる貴重な体験だといっていい。スポーツ、車椅子バスケットボールにはその魅と可能性が充分にあるのだとも確信する。これまでのスポーツの勝利至上主義あるいは体育至上主義のあり方を変えていける力がそこにあるのである。
わたしの与えられた30分ほどの講議ではまさに『ほんとうのスポーツの魅力』を参加者とともに共有させていただいた。『スポーツは医療である、芸術である、教育である、コミュニケーションである、すなわちスポーツで元気になれ、感動があり、成長があり、そして友達ができるはずだ』と。さまざまな意味で車椅子バスケというスポーツの可能性はまだまだと確信する!
8月23日より北九州で4年に1度の車椅子バスケのワールドカップが開催される。エミネクロスの及川は全日本の代表選手として参加する。わたしはチームドクターとして、東野はアシスタントコーチとしてサポートする。より多くの方々の応援を期待したい!!
新たなスポーツの幕開けを作り出すと信じて・・・。
Hot Message from Dr.TSUJI
2002年9月前半号vol.38
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車椅子バスケの世界選手権は社会面それともスポ−ツ面
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8月23日から9月1日まで北九州でアジアではじめて車椅子バスケの世界選手権が開催された。わたしもチームドクターとして参加させていただき、さまざまな体験をしいろいろなことを感じさせられたのでこれから何回かに分けてHot
MSGで紹介する。
今回の大会で今までよりも直に感じることができた貴重な体験の1つにマスコミであった。いつもプロ選手たちのメンタルトレーニングでマスコミへの対応につき話し合っているのだが、実際に触れることができたのははじめてのことだった。障害者スポーツへのマスコミの関心はいったいどこにあるのか?かわいそうなドラマを持つ選手たちは社会部の恰好の題材である。しかし、その分健常スポーツにはない多くのマスコミとその熱心さが存在する。社会部でもよいのでこうして多くの紙面で取り上げてもらうことにより情報の開示が起こり、車椅子バスケへの関心や正しい理解が起こることだろう。結局、知らなければ、関心など持てないのだから・・・。したがって、社会面だったとしても、その切り口が障害だったとしても、正しく車椅子バスケのことがより多くのひとたちに伝わるのであればそれは嬉しいことだ。そのことによりスポーツへ関心が生まれ、スポーツとの距離が短縮されれば、それでいいのではないかと思う。一方、障害者スポーツを社会面でしか取り上げられない寂しさを嘆いている関係者もいる。しかし、障害者からではなくスポーツから入った私としては、スポーツ部が取り上げたとしても、スポ−ツ面の報道力もたかがしれているとの思いもある。何しろオリンピックでメダルをとった選手達に『誰かこの1年お父さんの亡くなった選手いませんか?』と直後に聞いてしまうようなのがスポーツ部なのだから・・・。スポーツとしての価値を見出せず、ただ3面記事的な話題でのみ面白く伝える。スポーツの本質をおもしろく伝えられないのかとの憤りもときどきある。さらにはスポ−ツ部のほとんどが勝敗ばかりしか見えずそればかりを大事にして報道している。勝利至上主義を助長しているのである。ただメダルの数や勝った負けただけでなく、スポーツの可能性、たとえば私が提唱している『医療性やコミュニケション性や芸術性や教育性』を伝えてくれるマスコミがどれくらいいるのだろう?障害者スポーツがスポ−ツ面にどうどうと取り上げられる前に日本のスポーツのありかたを問いただすべき気がする。そう言う意味で障害者スポーツは日本のスポーツのあり方を社会面から入って問いただす突破口となるのではないか?わたしはそう期待しているのである。そうすれば、障害者スポーツが社会面なのかスポーツ面なのかを悩む必要すらないだろう。スポーツこそが社会面にふさわしいからである。お涙頂戴や3面記事としての社会面でなく、どうどうとスポーツそのものが社会面にふさわしいメッセージを送る存在と気付かれるのはいったいいつのことだろうか?その時が待ち遠しい!
Hot Message from
Dr.TSUJI
2002年9月後半号vol.39
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アメリカの揺るぎないセルフイメージはどこから来るのか?
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車椅子バスケットボール世界選手権(ゴールドカップ)に参加して感じたこと第2弾。日本は決勝トーナメント進出そして決勝トーナメント1勝を目指して長い間合宿を積み重ねてきた。長い間であったが決して充分という意味ではない。何しろ月1回の合宿でそれも2〜3泊である。長丁場の世界選手権や海外チームとのマッチアップの経験の少ないと言わざるを得ないのである。そんな中、日本チームはセルフイメージを少しでも大きくするべく、メンタルトレーニングをしていきた。しかしながら、私の力不足もあり、強剛チームと対戦し、そのスピード、高さ、パワーなどを直に肌で感じた選手のセルフイメージは縮小してしまった。いつもできることができなくなるのである。イメージや覚悟では補えきれない経験不足に思えた。また、こうした状況でセルフイメージが縮小するのは日本人特有の弱さにも感じられた。もちろんわたしの立場でそういってしまっては元も子もないのだが・・・。
アメリカが世界ナンバー1のカナダと準決勝を戦っているとき、アメリカ人あるいはアメリカチームにはなぜこの弱さがないのだろうかと心底感じさせられたのである。例によって、カナダは冷静沈着な教育者的コーチ、マイク・フログリーが采配を振るい、誰も否定しないだろう世界のスーパースターパトリック・アンダーソンがしっかりと実力を発揮。第2クォーターでアメリカを最高15点近くリード。誰もがやはりカナダ強しと感じていたに違い無い。この感じこそセルフイメージを縮小させ、実力以上の開きをもたらす主因なのだ。ところがである。アメリカチームのだれ1人たりともそのような様子を感じさせないのである。I
am or We are NO.1と心の底から信じて疑っていないのだ。予選リーグでもイギリスに敗れ2位でこの準決勝にコマをすすめてきたにもかかわらず。シドニーパラリンピック金メダルのカナダ相手にしていてもである。いったい、どうやってI
am or We are NO.1というメンタリティを育てることができるのだろうか?何がI am or We
are NO.1を心から信じさせるのだろうか?アメリカ人には。I am or We are NO.1は政治、経済的には鼻持ちならないかもしれない。その思想の強すぎるブッシュ大統領の戦争思考は確かに問題ある。しかし、スポーツの世界において心からI
am or We are NO.1を信じ続けられるメンタルタフネスは驚愕に値する。遺伝子に組み込まれているとしか思えない。それともアメリカという環境がそれを育てるのだろうか?スポーツの世界に働くものとして日本人にその爪の垢でも飲ませたくなるのは私だけだろうか?それとも、出る杭は打たれる文化の強い日本には無理なのか?
では彼らが鼻持ちならないごう慢な選手たちかといえば、会場でもファンや子供達のサインにもっとも答えているし、大会関係者にもやさしい。マスコミに対してですら寛容な態度がある。さらには、他のチームとのコミュニケーションも実に旺盛なのである。一体これは何なのだろうか?これがアメリカのスポ−ツ文化の奥深き、すばらしさなのだろうか?選手達は自然体の中、完全に社会のロールモデルとなり行動している。すばらしいの一言だ!スポーツが彼らを育てたのだと私は信じたい。
I am or We are NO.1とはいったい何なのか?スポーツの世界では何ものにも負けないのではなく、自分に負けないのだという信念と解釈したい。その点ブッシュ大統領とは違う。すなわち、どんな状況にたっても、自分たちは一生懸命にやり尽くすのだという思いである。自分たちの生き方やモットを1人1人がしっかり持っていて、それを貫き通すという信念があるようだ。だからこそ、人にやさしい。I
am or We are NO.1とはいつも自分の一番を目指しているということに他成らない。この感性は自信を育てる。何しろ結果に関係なく自分を信じているのだから・・・。すなわち、いつ何時どんなことになろうと、セルフイメージはキープされ縮小しないことにつながる。自信とは結果がつくるのだはなく、信念や生き方が作るのだ。
今一度われわれ日本人もまず自分の生き方を見つめ、自分の生きるモットーを見つけていく必要があるのではないだろうか?スポーツにはそれを考えさせ育てるという人間にとっての文化的価値がそこにあるのだはないかと改めて考えさせられた。
日本チームはよくやったと思う。しかし、スポーツの社会的背景のうすい日本にとって、スポーツの価値や文化としての深みが社会全体に生まれない限り、強化や普及はとてもむずかしいのではないかと改めて感じたのである。しかし、われわれスポーツ関係者が今するべきこと、自分のできることを1つ1つやっていくことが、あたらしいスポ−ツ文化を創造し選手を育てていくことになるのである。今するべきこと、自分のできることは、その時々、その人によって違うだろう。しかし、スポーツの文化的価値を意識し、健常者スポーツも障害者スポーツも現状よりさらなる変化が必要なことを信じ、行動していく人が増えていくことを望みたい。わたしはそう言う信念のもと、エミネスポーツワールド構想の実現化にむけ少しずつ活動している。この構想に賛同いただくエミネファンを今全国10万人集めようと必死で活動しています。エミネクロスファンに御署名ください。ホームペ−ジからもアクセスできますので、ぜひお願いします。ただし賛同いただける方限定です。
Hot Message from
Dr.TSUJI
2002年10月前半号vol.40
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秋、まさにスポーツに真っ盛り!わたしの関連チームや選手もそれぞれの結果を出し、毎週末はたくさんの報告の電話とメールがやってきる。それは悲喜交々。勝つチームもあれば負けるチームもある。勝つ選手もあれば負ける選手もある。負けたという報告を聞くと、残念、がっかりというよりも何かもっとしてあげられたことがあったのではないかと自問自答する。チームや選手に少しは助けになったのか?サポートした甲斐があったのか?メンタル面での強化に少しはつながったのだろうか?などなど。先月行われた全日本車椅子バスケの結果もそうである。どのスポーツにも言えることだが、サポートの甲斐はだれがどのように感じ評価するのだろか?選手の評価はいいが結果がでなかった、協会や連盟の評価はあるが、選手からはまったく、結果は出たが選手の変化はみられない、サポートする本人の充実はなかったが結果は出たなどなど、実にむずかしい。みなさん如何お考えか?結果がすべてではないだろう!
しかし、結果は出る!
そんな中、嬉しい知らせがいくつかある。東京大学の野球部が8シ−ズンぶりに勝ち点を上げた。サポートを始めて2年だが、実にうれしい。社会力の成果と思いたい。またライフセーバーの左藤文机子が何と全日本選手権で10連覇。本当におめでとう!すばらしいの一言。他にも勝ったチームはたくさんある。心からおめでとうといいたい。
負けたチームはまだ負けるにふさわしかっただけである。すべてが否定されたわけではない。勝つにふさわしいチームや選手になるのが目標だ。もし引退ならこれまでの結果はその後の人生を助けてはくれない。しかし、その中で何を学んできたのかは大きな影響を与えることだろう。スポーツがプラスになっていることを信じたい。その力をわたしは『社会力』と呼んでいる。